『メキシコ無宿』。メキシコロケの日活ウエスタン。

http://www.jmdb.ne.jp/1962/cl000040.htm
テレビでやってて、中原早苗が出てたのでなんとなく見始めた(中原早苗はさいしょのところでちょっと出てきただけだったけれど、いつものように気持ちのいいちょっと姉御肌の役でよかった)。妙な風味がある。宍戸錠があれやこれやでメキシコに流れて、馬に乗ったり殴り合いをしたり銃をぱんぱん撃ったりする。まじめにメキシコでロケをやっている。そうすると、まぁさいしょのうちはなんだか兼高かおる世界の旅みたいだなあと思いつつそれなりになつかしがりつつだったのが、しかし宍戸がいよいよ物語のメインの舞台となる村に到着して、石積みの建物や柱や教会や十字架やなんかのあいだを変な帽子をかぶって髭を生やした男たちや妙に暗い目をした女たちが画面にわらわらと出てくると、なにしろメキシコというところは、ブニュエルにケッサクな映画をたくさん撮らせた地霊がうごめく土地なので、ちょっとそういう連想をしながら見ることができる。ペドロとかエミリオとかマリアとかそういう名前の登場人物で基本B級の映画を撮るというのは、ぜんぜんちがうけれどなぜかブニュエルの『嵐が丘』とかを思い出させる。そういうところに怪優・藤村有弘あたりが登場するとやはりいい。
あと、ちゃんと褒めるところを言うと、この映画、なにせ舞台がメキシコなので、メキシコの言葉がわからない、というところが基本設定になっている。宍戸にもわからないけれど、見ている日本の観客にもわからない。そこで、まぁ都合よく、その村に流れてきた別の日本人とか謎の東洋人(藤村)とかが敵味方あわせ何人か登場して適宜通訳役を買って出るのだけれど、それ以外に、メキシコ人同士の会話はあっさり日本語吹き替えになっていたりするし、宍戸とメキシコ人が同時にいるときにはメキシコ人のことばに字幕がついたり、けっこううまく使い分けているけれど、そのうち、宍戸とメキシコ人(吹き替え)が日本語で喋りあっているのにお互いにわからなかったりするシーンが出てきたりする。それはそれでそういうものかと理解しながら見ていたら、ドラマのひとつの山場で、宍戸とメキシコ人ヒロイン(吹き替え)が日本語で喋りあい、かつそれが完全に会話になっていて、それによって相互の意思が通じ誤解が解けて敵対から和解へと移行する、という、えーとなんていうかよく考えたら衝撃のシーンがあったりする。これはすごいと思うのだけれど。