『遊びリテーション学』。「学」っちゅうより、ええ話まんさいのよい本。

遊びリテーション学 (シリーズ 生活リハビリ講座)

遊びリテーション学 (シリーズ 生活リハビリ講座)

このところいい本に当たるなあ、と思っているのはちょっとしたかんちがいで、生活と気持ちに余裕が出来たときに読もうととっておいた本をようやくぽちぽちと読み始めているからなのだな。
で、この本。
老人福祉の世界で普及しているという「遊びリテーション」ちうのに関心を持って本とかDVDとか買い集めたのだけれど、じっさいのゲームそのものもさることながら、その背景というか前提というか、福祉とか介護とか作業療法とかリハビリテーションとかの世界の話、そこに「遊びリテーション」を始めないといけなかった、あるいは始めてみたらこうなった、みたいな話がとてもおもしろい。直接、教育の世界に応用できるかというとちょっと異質かもしれないのだけれど。
この本は、「遊びリテーション」の第一人者の人たちの講座の記録をもとにしているようで、なんかそういう「ちょっといいはなし系」のネタがまんさいなのである。
↓いちばんきにいっているちょっといいはなし。

・・・私は、東京のある施設にスーパーバイザーで関わっていたことがありましたが、その時にすごいことがありました。朝行くと、夜勤の人の目が血走っているので、どうしたのですかと聞くと、「○号室のAさんが、昨夜は95回もナースコールを鳴らしたのです」と言います。押すほうも問題はありますが、数えるほうもねえ。(笑) 白版には怒りの「正」の字がいっぱいです。そこで、私に「何とかしてください。そのためにあなたは来ているんでしょう」と抗議するんです。そこで翌日、職員全員にある提案をしました。すると、その翌々晩は1回も鳴りませんでした。
 何をしたかというと、「仕返しをしろ」と言ったのです。「仕返し」と言ったって、ナースコールを抜いたり、老人を叱ったりするんじゃありません。向こうが用もないのに呼ぶのなら、こちらも用がないのに行くんです。(笑) ”用がないのに呼ばれる”から怒りが出るわけですから、鳴る前に用もないのにこちらから行くのです。「そんな」とかみんなは言いましたが、「いいから、取りあえず行って」といいました。そして、暑苦しいほど行きましたね。「おはよう」「おはよう」と。通るたびに全ての職員がどんどん行きました。厨房からも来ました。そしたら鳴らなくなりました。うんざりしたのもあるでしょうし、疲れたのかもしれません。
 ここでこのナースコールはなんだったのかを考えてください。用事がないのに鳴らすというのは要するに関係を求めているのです。・・・ピンポーンと鳴ったら”用事がある”としか思わないわけでしょう。だから、行って用がないというので、対応できなくて叱ったりするわけです。それは、こちらの感覚のほうが相当マヒしているということです。コールが鳴ったら用がある、鳴らないと用がないという感覚のほうがずれているということです。・・・

いやまあ、この対応が正しいのかどうなのかはともかく、しろうとめにみてしんどいようにみえる介護の世界を、しっかりとした基本にのっとりつつ、しかも笑える感覚で変えていこうというのは、なんかいいかんじだなあと。