非常勤先の近くの本屋で買って、試験をやりながら読み始めて帰りの電車と、あとは家であっさり読了。
きほんてきに、昔、自分が学部生で卒論を書いたり院に入ってすぐぐらい?の『
言語ゲームと社会理論』『仏教の言説戦略』のまとめなおしでは?というかんじ。ただ、
言語ゲーム論以前の
ウィトゲンシュタイン、
ヒトラーと同窓生だったころからの数奇な運命(?)とからめた『論考』の読み直し、というあたりが、あたらしい売りか、と。ただ、そのへんはあんましぐっとこなかった。
別の日。
研究室の本棚にあった2001年の『小説TRIPPER』を持ち帰りつつ帰りの電車で読みはじめ、あと自宅で。「贋作『
坊っちゃん』殺人事件」が、新人賞を受賞していたのを、ずっと読んでなかったのでこのさい読もうと。
で、その新人賞というのが、選考委員のなかに
奥泉光がいて、誰がどう考えても『『
吾輩は猫である』殺人事件』と比べて評価しないといけないはずなのに、
三浦雅士以外の選考委員の選評には(奥泉じしんの選評もふくめ)いっさい言及されてなかったし、ゆいいつ言及している三浦の選評でも、そうとう無理な褒め方をしていて、奥泉の『猫』がある以上それと比較されざるをえんのだがここではそれが有利に働いている、なぜならタイトルに「贋作」とついているからで、
漱石の
文体模写が特に後半にいくにつれてさっぱりできてないし
推理小説としても平板なのも、「贋作」とついているのでそれでいいのだ、みたいな。いやじっさい、
文体模写が下手なのと
推理小説として平板なのは、
高橋源一郎だとか、ほかの選考委員も指摘しているところで、それはもう読んでてもまったくそのとおりなのだし、とくに奥泉『猫』がすでにかなりの完成度で存在してしまっている以上、これでは許されないだろう、と思うのだけれど、なぜか受賞してしまってるのである。