- 作者: 竹沢尚一郎
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2010/01/01
- メディア: 新書
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「社会」っていう概念って、自明じゃないよね、っていうおはなしで、「国家」でも「共同体」でもないものとしての「社会」っていうのが、いつどのようにうまれたか、そもそもアリストテレスがいて、でも現在のような意味になるには17世紀以降のヨーロッパでの歴史的経緯がありました、王政から民主制へ、資本主義近代と国民国家とナショナリズムが展開して、そのなかで「社会」って概念がいまのかたちに自明化していきました、みたいな。ホッブズ、ルソー、ケネー、アダム・スミス、あたりから、サン・シモン、フーリエ、プルードンとかの社会主義者とコントやデュルケームの社会学が双子みたいに生まれてくるあたりの話というのは、おもしろい。フーコーを援用したりして。
なんだけど、デュルケームは保守主義だみたいな批判の仕方におちついてしまっちゃうと、なんかねえ、という気にならなくはない。
「社会」が国民国家の成立によって生まれた、としたら、「社会」の輪郭は「国家」の輪郭と重ね合わせて概念されちゃうことになるわけで、なんとなくのっぺりと一枚岩の、しかも国家を補完するような道徳的システム、みたいなことになっちゃいますよ、と。デュルケームが『分業論』で、法律の分析から社会的連帯を論じてるのだってそういうことなんですよう、という口ぶりで、うーん、なんかなあ、というかんじ。
そんで、社会は一枚岩ではないです、矛盾葛藤をふくんだコミュニティと公共圏の複合なんです、プロセスなんです、あるいはプロセスにしてかなあかんのです、みたいなオチ。まぁねえ、それを言うためにデュルケームの通念的批判を言わないといけないのかねえ。とは思った。