- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2010/06/19
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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しかし、「Kawade道の手帖」のシリーズはけっこうまともなはずで、手にとって表紙を見たら須藤先生の名前が。
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あと、三島憲一、という名前。自分が学生の頃の『現代思想』の特集ってかんじか。ぱらぱら読んでみたらやはりいい。「私がニーチェを習った先生は氷上英廣さんです。彼の『ツァラトゥストラ』の訳は名訳で原文よりいいですね・・・」みたいな話を読んでいると、こころ洗われるここちぞする。
ただ氷上先生は東大土曜会の顧問教官をしておられたのです。東大土曜会というのは日本の将来を考えるエリート学生の談話会でした。昭和三十年から四十年代のことです。いわゆる右翼の組織ではないですし、皆その後は外交官になったり一流企業の幹部になったりと優秀な人たちですけど、いわゆるリベラル保守です。そういったドイツ仕込みの教養主義と日本で偉くなっていくことがまだ矛盾しない世代なんですね。今カントやヘーゲルをやる人は一流企業なんて入れっこないですけど、当時はそういうことが可能でした。悪しき文化教養主義ですね・・・
みたいな。
そういう昭和なかんじの思い出話がまざってたりしつつ、ハイデガーによって「矮小化」されたニーチェをデリダがひきついでフランスの文化左翼の重要人物になったとか、そのデリダが死の直前にハバーマスと和解して、ちょうど今はニーチェに関して無風状態か、みたいに今のはなしにまでちゃんとなってるし、やっぱしいい。
でも、平成のビジネスの人たちは、そういうのを「古い」とか言うのかしらん。
ニーチェをどう読んでいくべきか、というのは、非常に難しい。でも、世間で出ているニーチェの言葉を適当に編集した本みたいに、元気を得るために読むのは、意味がないです。元気を出したいならば、そこらへんのお寺の入口に貼ってあるような「今日一日、心を込めて」とかを拳拳服膺したほうがいいでしょう・・・
ですよね。