通勤電車からの流し読み『なめらかな社会とその敵』。

なめらかな社会とその敵

なめらかな社会とその敵

なんか「議事録ドリブン」の「究極の会議」の人が社会論の本を書いて話題だ、というので気になりつつ、うさんくさそうだなーとも思いつつ手に入れ、帰りの電車で読み始めて下宿で読了。
数式とかの内容は読み飛ばしていいよって書いてあったので読み飛ばして、べつにわかんないところを理解する義理もないのでやはり読み飛ばして、ふんいきだけ読み取ると、タイトルからうっすら予測できる範囲内の議論だった。貨幣システム「PICSY」については、読みながらGoogleページランクの話に似てるなぁと思っていたら、後のほうで似てるよと出てきたので、読み飛ばした割にはふんいきはわかってると思うけれど、これ貧富の差が拡大するんじゃないかなあと思った。その点についてはまだわからん、シミュレーションをしてみたりパラメーターをいじったりしてみなあかんと書いているけれど、ふんいきだけで直感でベタにいうと、経済の取引のネットワークのうちの「生産性の高い=貢献度の高い」一帯にどんどん評価が集まるフィードバックのしくみだろうなーぐらいに思ったので、そりゃ富は集中するよなぁという程度の感想。「分人民主主義」については、これふつうに衆愚政治まんまだよなあ、という感想。
「構成的社会契約論」というあたりはもう読み飛ばし慣れてしまってたのもあって、なんかごちゃごちゃ書いてたが、ゲーミフィケーションみたいな話は見覚えあるなあ、というていどの感想。
総じて、一回だけ引いてあるドゥルーズの小文「追伸:管理社会について」と、あとはGoogleの動向とかゲーミフィケーションとかそのへんの界隈の最新風の話題を見聞きしていたら、なんとなくそんなもんかなあ、というような内容で、新鮮とは感じなかった。
で、まえがきあたりを見たら、著者の人はたぶんこの「なめらかな社会」というのを「理想」として提起しているってことで、その「理想」を現実化する具体的仕組みのまぁプロトタイプとして貨幣システムとか分人民主主義とかを提起しました、ということのようだ。
なのだけれど、ごくふつうのことばの意味において、これは「理想」を描いているというより、現状を記述してほぼ追認している、というんだろう。たとえばドゥルーズの議論は現状を簡潔に描いていたんであって、分人社会こそ理想なんてもちろん一言もいわない。で、そりゃそうでしょう、ということになる。
そうすると、現状を追認しつつそれをきたるべき未来の「理想」のように言うのは、まぁぴんとこないなあ、というのが感想。