通勤電車で読んでた『デヴィッド・ボウイ』。ボウイを聞かずに生きてきたわたくしは大島弓子でヒット。

デヴィッド・ボウイというと高校のころの自分が、たしか毎週火曜夜に坂本龍一の「サウンドストリート」みたいなのを聴きながら、『戦場のメリークリスマス』だとかの話を聞いてその中に出てくる人であると。しばらくはデヴィッド・シルヴィアンと混同してたぐらいだし、いやしかしそもそもたしか私はその時以来いまだに『戦メリ』見てないんじゃないかと卒然と気づいたのだけれど、まぁそんなもんで、そしてまたそのころ「レッツ・ダンス」が流行っていたのでいよいよ、なんか大ヒットを飛ばした、デヴィッド・シルヴィアンでもデヴィッド・バーンでもないほうの歌手、『ラビリンス/魔王の迷宮』で魔王役で登場したらしい人、ぐらいの印象で、そしてさすがにその後、グラムロックのすごい人なのだと知っても、なぜかそうなると意地でデヴィッド・ボウイは聴かないようなマインドが形成されていて、TREXもルー・リードイギー・ポップもかっこいいと思いつつデヴィッド・ボウイには行かない、まぁせいぜい『汚れた血』で「モダン・ラブ」でドニ・ラヴァンが疾走するからこの曲だけは忘れない、まぁそのぐらいで、それで今に至っていたのである。
なので、この本もまぁ、ボウイ入門と思って読み始めて、フムフムと素直に読み進んでいたのだけれど、途中でいきなりさしはさまれた、ボウイへの日本への影響、とくに日本の少女漫画への影響、というところでググッときた。大島弓子!なるほどそうじゃないですか!頭の中で鐘が!青い鳥は窓辺に、デヴィッド・ボウイは私の本棚のあちこちにずっといたのである。
というところで、ぐっとヒットして、それで読後に、このまえBSでやってて録画してた「デビッド・ボウイ 5つの時代」(http://www6.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/?pid=160124)というのを見る。なるほどこれがボウイかと。