通勤電車で飛ばし読む『キャンプ論』。キャンプの本でなくて、まぁ大学のフィールドワークの授業(携帯電話とかを便利に使う)をこの著者の人が「キャンプ」と呼んでいるよという本。

キャンプ論―あたらしいフィールドワーク

キャンプ論―あたらしいフィールドワーク

キャンプ、というので、カレーを作ったりフォークダンスを踊ったりするやつについての本かと思っていたら、そんな話では全然なくて、まぁ大学のフィールドワークの授業をこの著者の人が「キャンプ」と呼んでいるよという本。フィールドワークって言うか、まぁまちづくりみたいなことで、学生さんが下町を歩いて携帯電話で写真を撮ったりメモをしたりする授業をやっているよ、ということで、まぁそれはそれでいいけれど、まぁそれをキャンプと呼びなおす意味というところまではちょっとわからなかった。
キャンプ、というかカレーを作ったりフォークダンスを踊ったりするほうのキャンプについては、むかしに読んでここに感想を書いた(http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20061111#p3)本で提起されていた「ピクニカビリティ」という言葉を思い出す。もしそれに対して逆に「キャンプ」をさらに魅力的な概念として提起するような議論があるのなら、ちょっと読んでみたいと思ったのである。

・・・ピクニックとキャンプの違いをご存知だろうか。ピクニックは本来社交の場であり、ホストとゲストがない平等な集会である。だから煮炊きのような労働を誰かに課すようなことはしない。これに対してキャンプは軍隊の行動スタイルが基盤になっており、設営や炊事といった労働とその役割分担を通じて仲間意思[ママ]を共有しようとするものだ。拘束状況のアレンジメントを遊ぶタイプのレジャーである。
私はピクニックが優れてワークショップ的であると思う。逆かもしれない。ワークショップがこなれてファシリテーターを必要としなくなった時、それはピクニックのように自由で楽しい雰囲気になる。どんな人も参加し、それぞれが理解可能なように語り、新たな「発見」を共有する場となるだろう。