通勤電車とかで読んでた『現代思想 特集エスノグラフィ』。
話題の一冊を、最初のあたりは通勤電車で、あとは枕元に置いて、ふむふむと読んでた。個々の論考はそれぞれなるほどと。プリンとかクワガタとか突出した細部の記述をあまり強調するのは、自分的にもたとえば学生さんの卒論のときなんかにそういう細部をだいじにというように進めたりもするので、わかるんですが、でもあらためて言われると、文学とみわけつかなくならないかなあという気にもなる。まぁ、文学とみわけつかなくてもかまわんのですが。あと、前の教科書のときから思ってるのが、「他者の合理性の理解」という言い方の「合理性」というのがぴんとこないということで、「他者の理解」ぐらいじゃだめなのかなあと思う。自分がその人ならやっぱりそうしてしまうなあ、というところまで理解する、というのはわかるのだけれど、それをその人のその行為なり何なりを「合理的」と呼ぶかなあ、と。