通勤電車で読んでた『 FACTFULNESS(ファクトフルネス)』。社会統計版マインドフルネス、あるいはエビデンス・ベースト・悟りの勧め。よい本。

たぶん例によってWebのどこかで薦められてたんだと思う。読んでみたら悪くなかったし学生さんに薦めるといい本と思う。
で、タイトルの「FACTFULNESS」とはそも何ぞや、というと、著者の人の造語のようで、まぁたぶん、マインドフルネスの社会統計版、というぐらいのことなんじゃないかと思う。社会統計を見てみれば、貧困であれ教育であれ健康であれ人口問題であれ、いろいろな問題について、世界は(たとえば100年前より)よくなっている。だけど豊かな国のほとんどの人々は、世界がより悪く、分断され、悪に支配され、修正不能で、ますます危機的になっていると思いがちだし、かつて貧しかった地域の人々が急成長していることを知らないし、認めようとしないし、たとえばそうした国々が経済発展するために二酸化炭素を排出する事を - つまりかつて貧しかった人々が急成長して自分たちに追いつくことを - 認めることができなくて非難する。社会統計を見れば、世界はよくなってきているし、貧しかった地域は貧困を脱しつつあるし、そうした急成長は世界全体のチャンスにもなるというのだから、私たちは、偏った見方を捨てて、気づけばいいのである。まったくもってその通りで、自分もこの本の冒頭で示されたクイズにはさっぱり答えられなかったのだから、この本には得るところが多かったし、まったくもってもっともなことが書いてある本として、学生さんにもおすすめである(文章はユーモアを交えてきわめて読みやすい)。
でまぁ、しかし同時に、たとえば「マインドフルネス」というのが妙に流行っていて、まぁ古今東西の人文科学心理学哲学宗教の類の要点を煎じ詰めると、平静な心で悟りに至るみたいな境地に達するとういことなのかなと理解している。それはまぁことさらに逆上興奮を推奨する哲学もあまりないだろうから、たいていの哲学宗教思想のたぐいの、究極奥義は何ですかと質問して、それをさらにふつうの人の人生の心がけレベルに落とし込めば、平静な心で悟りに至るべし、みたいなところにたいてい落ち着くんだろうと思う。そりゃまあそれでもっともなことでありがたいことだとは思いつつ、しかしそこまで煎じ詰めてしまったら、哲学なら哲学、宗教なら宗教がそれぞれに向き合っていたはずの問いまでぜんぶ洗い流してしまうことになるでしょう、まぁそれでも、別に哲学者でも宗教家でもない「ふつうの人の人生の心がけ」レベルでいえば、それで正解、古今東西のあらゆる哲学思想宗教の究極奥義はこれだ、ということになってもべつに文句を言う気にはあまりならない。でまぁそれとだいたい同じような理屈でもって、思い込みをなくして世界の姿を虚心坦懐に見よう、これがファクトフルネスだ、といわれれば、それはそうですね、まぁ啓蒙ってそういうことでしょうし、まぁたとえば将来研究を続けていくというわけでもない学生さんが大学であれこれ勉強して、それでなにかひとつ身につけて卒業するなら、このファクトフルネスの態度でしょう、それこそが究極奥義、と言われれば、そんなもんかなとも思う。まぁこれとて、そこまで煎じ詰めてしまったら、社会学やら経済学やらあれこれが向き合っていた問いが洗い流されてしまうんだけれどなあ、とは思う。でもまぁ、そうやって究極奥義化して「ふつうの人の人生の心がけ」レベルに落とし込んでくれるから、学生さんも役立ち感をもってくれるだろうし、まぁそうやって細かい難しいところをスッキリ全部捨象してしまうことで万人に共感の輪が広がってウケてればベストセラーにもなるよね、と。
でまぁ、なぜまたそういうことをくだくだ思いながら読んでたかというと、↓こんなくだりがあったからである:

・・・特に、自分の経験をもとに、ほかの人たちをアホだと決めつけないでほしい。
チュニジアには・・・様々な人が暮らしている。街の中には、この写真のような建てかけの家がある。この家の持ち主はサルヒさん一家で、首都チュニスに住んでいる。この家を見たら、チュニジア人は怠け者か、そうでなければ計画性がないと決めつけてしまってもおかしくない。
(・・・)
もしスウェーデンで誰かが家を建てかけのままにしておいたら、そもそもの計画にとんでもない問題があったか、建築業者に逃げられたんだろうと思われるはずだ。だが、スウェーデンであたりまえのことがチュニジアでもあたりまえとは限らない。
(・・・たねあかしがあって・・・)
わたしたちは、サルヒさんたちが怠け者だとか計画性がないとか、はなから決めつけず、相手がかしこいという前提に立って、こう問うてみるべきなのだ。なぜこのやり方が理にかなっているのか、と。

これ、岸先生いうところの「他者の合理性を理解する」なんじゃないかなあ、と。『FACTFULNESS』の著者の人も、たんに統計数字を見ろだけじゃなくて、現地に行って生活を知ることの大切さみたいなことも言ってるし。それで思ったのが、「他者の合理性を理解する」の究極奥義っぽさで、社会学は「他者の合理性を理解する」ことなのだ、という煎じ詰め方と「ふつうの人の人生の心がけ」レベルへの落とし込み方は、まさにマインドフルネスとかファクトフルネスとおなじく究極奥義だなあ、と。そしてその連想でごく自然に、好井先生の「あたりまえを疑う」が思い出され、なるほどそれもまた究極奥義、だからつまり、どこにあるのかよくわからないけれど「質的」業界、みたいなアリーナで、「あたりまえを疑う」とか「自己反省」とか究極奥義バトルが展開されていてそこに現れた新究極奥義が「他者の合理性を理解する」なのかしら、とも思ったりした。
まぁそれはともかく『FACTFULNESS』は学生さんに薦めたいところ。