自分むけにCOVID-19関連について現時点でどう考えることにするかをまとめておく。(その5:4/18-)

やれやれ。またちょっと新しい記事を立てておく。
covid-2019.live
さしあたりのデータは↑ここを見てるけど、前の記事でもちょっと触れたように、

感染者数のデータについて備忘。
このところ、毎日の新規の感染者数が、多いとはいえ、一時期の毎日最大を更新、指数関数的に増加、みたいなふうには見えないように、見える。「ぎりぎりもちこたえ」感のある感じに、見える。これが「10日から2週間前の答え合わせ」だということだと、これからどうなるか。
基本的にはそういう見方。
ただ、ツイッターなどで、「検査待ちがとても多いので、検査結果のデータが意味なくなってるのでは」という声も目にして、そのへんは気には留めねばというところ。不必要な検査をしない、必要な検査をするためにリソースを割くべし、というのがどんどんシビアになっていくかんじか。

あと、そのまえの記事でちょっと触れたことについて補足しながらいうと、
それなりに検査が機能しているという前提で、またあるていど感染の規模が小さかった時期には、クラスターが見つかるとそこから芋づる式に検査していく(たぶん)のでドカンと感染者数が増えるけどそれはそんだけのこと、というのがあった。だけど現時点でいうと、東京で言うと、感染の全体の規模が大きくなってきたことで検査が十分に機能できるかキャパ的なことを現実的に念頭に置くべきなのかもしれないのがひとつ、また、クラスターより孤発例が多くなってきていること、で、考え方はまた変わってきてるのかもしれない(「感染経路不明」というメディアの言い方に対して、「調査中」のものまで不明扱いするのは適当ではない、という見解もTwitterで見かけた)。また、東京がそうであっても、地方だとまた違うし、また地方であっても感染経路の本体が見えなければ油断禁物ということはあるだろう。
ま、そういういろいろを念頭に置きつつ、日々のデータを、全国と東京、大阪、あと住んでるとこ・職場のあるとこ・実家、あたりをチェックしてる。都道府県のサイトでは感染状況について情報が出てるけど、そろそろ数が多くてきりがないので細かくチェックするのはやめた。ときどき見る。

でまぁ、本日はこの記事をブックマーク。
「日本感染症学会が「COVID-19シンポジウム」を開催。専門家会議の尾身茂副座長、クラスター対策班の押谷仁教授も登壇した。 」ということで、現時点の総括と見通しが集約されてる感じ。
https://www.buzzfeed.com/jp/yutochiba/covid-19-symposium?utm_source=dynamic&utm_campaign=bfsharetwitter
いままで、基本的に「人に注目するのでなく場に注目する」という方針で理解していたけれど、ここにきて、感染者の「感染性」についても、考え方が示されてて勉強になった。だからどう変わるということではないけれど、さしあたりカッコに括っていたところについて、考え方が示された、というかんじ。

少し前に思いつきつつ、それを言っても何の役にも立たないし何の理解が進むわけでもないし正直不快なので書いてなかったけどまぁ物言わぬはなんとかなので、ここにちょろっと書いとくことにする。
クラスター対策とかの、あれこれの「8:2」という数字とか、グラフとか見たり、あと「規模が脅威になる」という考え方を見ていたら、ふと、「ロングテール」とか「フリーミアム」とかそういうクリス・アンダーソン的な世界を思い出した。多数者にコストゼロないし低コストで提供することによってシェアを拡大する。収益は少数者から上げる。そうやって全体の規模を拡大することによって、こんどは「ロングテール」部分を収益化可能にする。そうすると、「クラスター対策」というのはいわば、従来のビジネスモデルの、「売れ筋=ヘッド」に特化した戦略で、全体の規模が小さい時にはそれで戦えるけれど、ウイルスの感染が拡大して「ロングテール」の部分がそれ自体として収益化=あたらしい感染拡大の出発点になりはじめると、フェーズが変わって別のビジネスモデルの戦いになる - 的な。このたとえがあまり印象良くないのは、目線がウイルス側にあるためで、コストとか収益とかのたとえが意味するところを考えるといやになる。しかしそれをいったらamazonが拡大して桁違いの規模を獲得してロングテールから収益を上げるビジネスモデルを確立してしまったことじたい従来型のビジネスモデルからすれば死活的に不快なことでもある。いずれにせよ、このいかにも無駄な社会学者の思い付きみたいなたとえ話は、ちょっと考えてみたがやはり何の役にも立たないしこのたとえによって何かの理解がすすむというわけでもやはりないようだ。たとえば新型コロナはWeb進化論的な進化を遂げたウイルスなのだ等々言ってみてもまったく無意味だ。

4/19
「8割の行動制限」ってどのぐらいか、自分は現状どのぐらいか、いちおう考えてみる。
まのわるいことに今年度から職場で役割が当たったってのがあって、仕事は増えるかもなかんじではあったという前提で。いちおうそれをベースとして。週末にちょこちょこ用事が入るかもしれなかったのもあるけど、まぁしかし、週5日出勤をベースと考えるとする。で、いま現状としては3or4かなと。でまぁ、とにかく授業がないので、何で行かないといけないかというと、会議と、あとはハンコを押すため。やはりいろんな書類というのがあるもんですね。ときどき「至急」なんて書いてあるのが届いてたりするので、やはり現状あまり放置はしにくいというところはある。ただ、このまえ全国に緊急事態宣言が広がったし、もう少しどうにかなるかもしれない。Web会議にできるものはWebで、というのもでてきた。等々で、週3or4が週3ぐらいになるかなあ。それで6割。ただ、そもそもいま授業がないし、授業が始まってもWeb授業とかになるんだったら、学生さんたちとの接触がとにかくないので、出勤しても対人接触は激減してる。会議も広い部屋になってるし、それいがいの会話も(2mあるかはともかく)それなりの距離を取りながら最小限、にはなってるので、そう考えると、まぁ通勤電車には乗ってるけどかなり空いてきてるし、週末は以前にもましてひきこもってるし、けっこうトータルの活動で考えると活動は抑えられてるかも、という気もしてくる。

うーむ。かなり気になる&解釈を要する記事。たぶん自分的な結論としては、これは専門家が書いた文章ではなくてテレビを見てたジャーナリスト水島某という人が、彼流の解釈で世に警鐘を鳴らそうと『BLOGOS』に寄稿した文章、というぐらいに理解することにするが、気にはしておくこと。
blogos.com

・・・吐く息にも大量のウイルスが存在するから。だからやはり2メートルの距離を保つことは必要だ。

このあたりは、いままでの自分的な考え方からすると、相当程度に食い違う。ふつうの呼気は大丈夫と考えるかどうかはかなり決定的だと思う。
「吐く息にも大量のウイルスが存在する」というのは、まぁ数え方のもんだいもあって、ウイルスが1匹だと少量で100匹なら大量、とかいいはじめると、おはなしはずいぶん文学的になる。じゃあ何匹いたら現実的にリスキーなのかというのは、上の引用文からはわからなくて、いままでの自分の理解で言えば、ふつうの呼気にまで神経質になる必要はない、無視して良しの範囲、と考えてたが、上の引用文の文脈は、無視するな、であるように読める。でも、その具体的な例がどのように挙げられてるか見るためにもう少し広い範囲で引用すると、

(2)向かい合って食事をしない
 向かい合って食事をして30分ほどいただけで感染した例がある。
 飛まつが食事に落ちるから感染するという。会話をする場合は飛まつが飛ぶのでリスクが高くなる。会話をしない場合でも食事だけでも唾液が飛ぶので食べ物につくリスクがある。向かい合って食事をすることはリスクがあると知ることが大切だという。
 これをさらに学生など若者たち向けに通訳すると「デートでも向かい合っての食事は高リスクなのでやめるべき」ということになる。
 2メートル以内に近づいて、黙ってそばにいて食べる場合はどうか? これもデートならばありうる状況だ。
 だが、これも注意が必要だという。吐く息にも大量のウイルスが存在するから。だからやはり2メートルの距離を保つことは必要だ。
 気がつけば恋をするのも「命がけ」という状況になってしまっているが、若い人でも2割の人が重症化して死のリスクがある以上はお互いの命を守っていまを生き抜くためにもここは接近せずに我慢するしかない。

というかんじ。
うーむ、これは、「考えの甘い若者は、デートで食事をするぐらいかまわないだろうと思ってるかもしれないが、ダメなんだぞ!」と釘を刺す文脈であるようにも見える。この段落全体を見ると、「呼気に大量のウイルス」という命題を単独で取り出してどこまでシビアに受け取るべきか、ちょっと揺れるよなあ。いきがかりじょうみたいなかたちで、そんな重要なことを言うのはよくないなあ…。
また、

テレビ朝日報道ステーション』でも西浦教授の記者会見の映像を比較的長く放送した。
特に電車での通勤について記者の質問を受けて西浦教授は次のように答えた。
(西浦北大教授)
「電車は必ずしも私たちから良いとは言えません。
  良いはずがないんですね。

これも、自分的には決定的に重要なポイントなので、ほっとけない。
「解釈を要する」と思うのは、「良いとは言えません 良いはずがないんですね」という言い回しは、じつはほとんど何も情報量がないので。そりゃ良いですか悪いですかと言われれば、だれだって「良いとは言えない」し「良い」はずはない。電車に乗って、「良いことをしたなー」とは誰も思わない。いまもんだいなのはそこではない。また、ここで言葉尻をつかまえて上げ足を取ることが何かの解決になるわけでもない。
で、この記事に関しては、何度か引いているTwitterの方(ウイルス学の専門家のかた)は、ちょっと強めの口調になってはる。
https://twitter.com/takavet1/status/1251679421230022656
https://twitter.com/takavet1/status/1251697835679952898
などなど。
うーむ。
「呼気にウイルス」については、参考までに、

www.jmedj.co.jp
・・・
3. ウイルスの感染能力の安定性
飛沫感染は2m離れると感染しないとされている。オープンエアでは,2mまで到達する前に,種々の大きさのaerosol(エアロゾル,微小な空気中で浮遊できる粒子)は乾燥する。60~100μmの大きな粒子でさえ,乾燥して飛沫核になり,インフルエンザウイルスを含む多くのウイルスは乾燥して感染性を失う3)。したがって,コロナウイルスはインフルエンザ同様,エアロゾルが乾燥する距離である2m離れたら感染しないと思われる。しかし,湿気のある密室では空中に浮遊するエアロゾル中のウイルスは乾燥を免れるため,驚くことに,秒単位から1分ではなく,数分から30分程度,感染性を保持する4)〜6)。
・・・
5. COVID-19の感染様式
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染様式は,従来のヒト呼吸器コロナウイルスの感染様式(物を介する感染)とインフルエンザ的感染様式(飛沫感染)が考えられる(図1)。
・・・
インフルエンザと同様の飛沫感染については,先に述べたように,咳やくしゃみの飛沫だけでなく,呼気の87%を占める1μm以下のエアロゾルも感染性を有すると考えられる11)が,コロナウイルスは,細胞中で産生されるウイルス量がインフルエンザウイルスの約100分の1であることから,インフルエンザほど感染能力は強くないと推定される。

うーん、読み方がわからんので引用のしかたもわからんが、「呼気にもエアロゾルは含まれる」「インフルエンザよりはまし」「オープンエアなら2m離れると飛沫は乾燥するので感染力を失うよ」「湿度のある密室だと感染力が保持されるよ」ぐらいか。そのぐらいであれば、ほぼ今までの理解のマイナーチェンジですむんだけどなあ。

うーん、さっきの『BLOGOS』の記事、内容は気に留めるけど、やっぱダメ記事っていう気がしてきたなあ。
専門家ではない人が、ある意図を持って、「専門家のあの発言の「真意」はこういうことなのである!」と自己流解釈を記事にする、というのは、やはりダメだと思う。
それは、以前に、社会工学の人が「新型コロナウイルスによる「死亡者」および不況による「自殺者」の「最小化」を目指すリスクマ・ネジメント対策 ~京都大学レジリエンス実践ユニットからの提案~」という記事でやったこと - 「専門家会議」が言おうとしていた裏の意味はこうである、的な - と、ベクトルは逆だけどやってることは同じで、それはあまりよろしくないなあとあらためて。
自分むけにCOVID-19関連について現時点でどう考えることにするかをまとめておく。(その2:3/20-) - クリッピングとメモ
まぁ、記事の言ってる内容そのものは、その社会工学の人も、ジャーナリストの人も、そんなに自分とものすごく違う理解をしているわけではないとおもうのだけれど、前者は「そんなにビビらずに活動しようぜ」、後者は「そんなに甘く考えずにとにかく引きこもれや」という主張を、専門家の「真意」であるかのように、書いてるわけで、そういうのはやっぱりよろしくないでしょうと。

4/25
どうも、考え方に影響しそうなおはなしもちらほら聞こえてくるかんじはあるのでいくつか貼りつけておく。
大枠では、エアロゾル感染というのが焦点。このまえ↑気になってた「呼気に含まれるウイルスを気にするべきかどうか」問題にもかかわるかもしれない。
エアロゾルによってウイルスが直接、下気道に到達する、これを、接触感染→口から上気道に、というのと区別して考えないといかんし、むしろより重要かも、という可能性について。


このあたりのはなし。
また、
このへんのはなし、まぁ仮説というかまだ途上なんだろうけれど、ちょっと手ごたえ感は感じないですか。
このあたりは、だから、対策ということでいえば、「手洗い」とは別の路線の戦略に焦点をあてることが必要、というおはなしだろう。
で、それは、さしあたり従来のおはなしからすると、「2mの距離」ということなんだろう。
マスクに関しては、飛沫をとばすことを防ぐ、ということだった。ここで話題になってるエアロゾルというのは、飛沫のなかの細かいものがエアロゾルに化けるよ、というはなしなのか、それとは別に、湿った呼気には含まれるよ、ということなのか。前者であれば、これまでの考え方の延長で、喋ったりくしゃみや咳をしたりするときの飛沫をマスクである程度or十分にキャッチできるよ、ということだろうと思う。しかし、後者があるとすれば - ちょっと素人考えではありえなそうな気はするけれど - マスクの網の目の粗さではキャッチできないよ、ということもありえるのだろうか?
たとえば、自分なりに唾液が飛ばないように、声を出さずにゆっくり「はあー」と息を吐いてみるとする。これは、湿った呼気だと思う。そこに十分な量のウイルスが含まれているということになると、これは考え方が根本的に変わるじゃないですか、ということでもある。そんなに根本的に考え方が変わるお話ならもう少し世間的に話題になってないとおかしいという気もする。まぁ、上↑にはりつけた岩田医師のツイート「2mに近づいたら逃げる」というのは、このぐらいの感覚だと話は合うなあ。
ただ、このまえ貼りつけたように、エアロゾルが乾燥した空気中でどのぐらい感染力を持つかというおはなしがあったはずで、ふつうは短時間だよ、ということであったはずで、それが「2m」の根拠にもなっていたと理解しているし、「3密」の根拠でもあったと思う。なので、まったくお話が変わってしまったとは、いまのところは理解しないでもいいと思う。
ふむ。

貼りつけ。
ふむ。
あとそうだな、空気は40%ぐらいの湿度に加湿すべしっつってるな。換気しながら加湿と。このへんの理屈(なんとなく、気道内は湿度がたかいほうが働きが良く?て、部屋は乾燥してる方がエアロゾルがはやくなくなる?からいいのかと思ったんやが)はどうなのか。

あとね、換気が重要というときに、窓のないビルとか建物がどうか、というのは気になるところ。これかなり気になる。うちの職場の大学は大丈夫にしても、世の中にはそんなビルとかが山ほどあるだろう。これどうなのか。どうすればいいのか。

4/26
あと、ここ数日、「血栓」というワードがあがってますね。いちおうマーク。

ブックマーク。専門家の人の湯加減というのかな、最近気になっている「エアロゾル感染」について、どのていど気にするものか。
news.yahoo.co.jp

感染者の上気道にウイルスがいても、その人が黙って呼吸をしているだけで他人にうつるわけではありません。また、その人とすれ違った程度でうつることもないでしょう。その点においては、感染者とすれ違うだけで感染する麻疹や水痘のほうがよほど厄介だと言えます。ただ、症状出現前から直後にかけてのウイルス量が多い時期に、口から微細な飛沫(エアロゾル)が大量に発生する状況が、特に狭い空間のなかで起きた場合には、同室者が感染するリスクが生じます。
 
日常生活の場と違って医療機関エアロゾルの大量発生が起こる場面が多いのが特徴的です。例えば、(・・・)

ふむ。

ここ数日の、「エアロゾル感染」周辺のTwitterでの議論のまとめができてた。かなりいろいろなはなしがつじつまが合う&実際的な対策の指針とか心構えとか注意点とかにもかかわってくるはなしなのだ。まぁ、上↑で書いたように、いまのところはかなり興味深い仮説、ということで。
togetter.com
あと、エアロゾル化は乾燥してる方がしやすいので、予防には湿度を上げる方がいいよ、ということみたい。以前はりつけたのは、インフルエンザのときの研究だけど、インフルエンザウイルスよりも今回のコロナのほうが乾燥に強そうなことも書いてあるように理解した。サイズの大きな飛沫が、乾燥した空気の中で細かくなってエアロゾル化する、という話と、乾燥するせいで感染力がなくなる、という話があるのかな?で、いまのばあい後者より前者が重要という理解でいいのか?もうこのへんは素人の理解だとたぶんよくわからんということなので、「しばらくはよくわからんものとして、自己責任で自分なりの理解にしたがって対処する」が正解なのかな。
※ ここ数日でてきていてここ↑でまとめられているような「エアロゾル感染」周辺の考え方と、上↑に貼り付けた坂本氏の記事の中でのスタンス(あるいは以前はりつけた同氏の記事でのスタンス)と、やや温度差があるように見えなくもないことに留意。おおまかには「エアロゾル感染」をどのぐらい重視するか(どのぐらい特殊あるいはどのぐらいよくある・気を付けるべきこととみるか)というところでの温度差、病院内でも特別な手技にともなうことなのか、それとも気密性の高い建物の中ではかなり広範囲で気を付けるべきことなのか、また、病院外の一般の人の日常生活の中で同様のことが起こりうるのか・気を付けないといけないことなのかどうか、といったあたり。・・・と書いていて、あらためてそんなに違わなくて両立するよなあという気もしてくるけど。文章のトーンの問題かなあ。専門家のひとたちがほとんどおなじものを見つつどういうトーンで語ってるかの違いというか。まぁでも素人としては、そのへんの顔色判断で自分のスタンスを決めるところがあるのでねえ。

4/30
ぼちぼちまた長くなってきたから記事をあらためなくちゃだけれど、まぁ吐き出すところがないのでこのへんにちょろっと書いておくけど、
「日本はPCR検査をやらなすぎる、これは国が東京オリンピックをやりたいための隠蔽工作であって、そのために見かけ上は感染者が少ないが実際は恐ろしいことになっている、コロナが原因の死者も恐るべき数に上るがこれまた隠蔽されている、専門家の中には「検査をやるな派」がいてそれは御用学者なのである、どんどんPCR検査をしないという現状は破滅的で非科学的で非合理的であって状況を刻々と悪化させるばかりでそれは国や国が雇った御用学者の専門家が無能だからなのだが、そのことじたいを国は隠蔽しているのである」といったことを、まあここひと月半かふた月ばかりそればかりの一本やりで叫び続けている人、というのがまぁ、少なからずいらして、まぁ自分はここに自分なりの状況の受け止め方をぼそぼそと書き始めたころからずっとその考え方はとらないで、まぁ自分なりにあれこれ見かけた情報なりを自分なりにつぎはぎしつつなんとか自分なりの受け止め方をそのつど考えようとしてるわけで、まぁ考えること自体が多岐にわたるというのもあるけどともあれ記事も「その5」もこのぐらいの長さになるぐらいで、まぁ下手の考えなりにぼそぼそと自分なりに考えようとしてはいるのだけれど、ふと、「PCR検査をやらないのは隠蔽で日本の現状も国の対策もでたらめだ」一本やりの人はこの間、なにを考えてどのように過ごしているのかしらと、不思議に思わなくはない。嘘とでたらめと陰謀しかないような現状なのであり専門家も当てにならない前提に立ち、国の隠蔽工作の裏側で誰もわからないぐらい状況が悪化している、それに対する国の対策も全くの混沌で無意味と捉えるとすると、その人はどのように行動できるのだろうか。