通勤電車で読む『〈弱いロボット〉の思考』。「弱いロボット」研究の背景のサッチマンとかグッドウィンとかサックスとかに言及した新書本。

以前、『弱いロボット』という本がおもしろくて(http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20150912#p1 http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20151005#p1)、これは「雰囲気から入るエスノメソドロジー/会話分析」だ、と思ってたのだけれど、同じ著者の人が新書を出してたのに気付いて読んでみたら、ちゃんと、研究の背景にあるエスノメソドロジー/会話分析にもきちんと言及していた。サッチマンのコピー機のはなしについては6ページぐらい割いてるし、サックスの会話分析についても複数個所で参照して敷衍してる、っていうか、ロボットの理屈を会話分析で説明するというよりむしろ会話分析をロボットの経験から説明していて、面白い。

1990年代前半には、いわゆるハーヴェイ・サックスらのエスノメソドロジーの視点は、わたしたちの周辺にも伝わっていた。会話研究の関心も、「プラン認識に基づく対話理解」のようなものから、いつの間にか「会話参与者はどのようにして目の前の相互行為を組織しているのか、どのように秩序を生み出しているのか」という側面に移りそうした関心からの会話分析も盛んになりつつあった。/一方で、「会話参与者の局所的なインタラクションによって、そのつど相互行為を組織している」という見方は、状況論的認知や複雑適応系などの考え方とも相性はいい。状況論的認知の分野を切り開いたサッチマンは生粋のエスノメソドロジストであり、その背後でつながっていたのである。(154-5)

とのことで、まぁ当然ではあるのだけれど、やはりエスノメソドロジーなのだった。