『ロック ベスト・アルバム・セレクション』『ロックミュージック進化論』『 パンクロックを超えて』。渋谷陽一でロックを学んだ世代(+鳥井でポストパンクを)

ロック―ベスト・アルバム・セレクション (新潮文庫)

ロック―ベスト・アルバム・セレクション (新潮文庫)

ロックミュージック進化論 (新潮文庫)

ロックミュージック進化論 (新潮文庫)

(文庫)パンクロックを超えて (ROCK文庫)

(文庫)パンクロックを超えて (ROCK文庫)

『全ロック史』を読んだ感想としては、
『全ロック史』読んだ。 - クリッピングとメモ
なにより、じぶんは渋谷陽一でロックを学んだ世代なんだなあ、ということで、基本的なパースペクティブ渋谷陽一のふたつの新潮文庫『ロック』『ロックミュージック進化論』を読んだり気になるところをレンタルとかで聴いたりして学んだので、まぁそれでカバーできてるところに関してはそれでよかったかな、ということだった。ただ、それらの文庫本は80年代ぐらいまでしかカバーしてなくて(『ロック』のほうは、ポストパンクの入り口とMTVぐらいまで。『ロックミュージック進化論』文庫版も、プリンスぐらいまで)、まぁ自分的にそれ以外で勉強になったのは鳥井賀句『パンクロックを超えて』というインタビュー集で、これでポストパンクをいくぶんか押さえたというかんじ。あとはジョン・ゾーン→ナパームデス→グラインドコアデスメタル、とか、山塚アイハードコアパンク、とか、空耳アワースラッシュメタルとか、まぁそんなかんじでなんとなく文脈というかイメージは形成されてなくはなかったけれど、基本的には90年代以降のことはあんましわからないかんじで - まぁいうまでもなく、ロックなどというのは本で読んだり文脈だけ押さえたりするもんではないのはとうぜんなのだけれど - まぁたとえばロックの歴史を50年代ぐらいから数えるとして、50,60,70,80年代ぐらいまでカバーしていても、90,00,10年代がカバーできてないんじゃないの、というわけで、『全ロック史』というのはいちおうその後、つまりロックの歴史の後半戦から今までをカバーしているよ、ということではあるのだった。
ところがしかし、そもそもロックの歴史の後半戦って、あるのか?というおはなしもあるわけで、たとえば南田勝也『オルタナティブロックの社会学』はそのへんの何度目かの「ロックは死んだ」具合を説得力を持って語っているわけで
『オルタナティブロックの社会学』。ニルヴァーナ以後、「97世代」以後のロックを考える。 - クリッピングとメモ
オルタナティブロックの社会学

オルタナティブロックの社会学

そういうつもりで読むと『全ロック史』というのは、たしかに、パンク以降の章がいきなり爆発的に小ジャンルの並列みたいになってて、まぁ仮にそこで「ロックミュージック進化論」を書こうとしても途方に暮れるかな、というかんじにはなってる。とすると渋谷陽一はまったくいい時代に『ロックミュージック進化論』を書くことができた、自分も読むこと・聴くことができた、という言い方はできるかもしれないし、『全ロック史』はロックの生前と死後、ロックとオルタナティブロックをひとつながりに語ろうといういかにも無謀な仕事だったのかもしれない(無謀、というのは、よくぞやった、ということかもしれないし、不可能性の自覚を欠いてたんじゃないか、ということかもしれないし、まぁでもロックのダイナミックな進化の歴史が終わっていることは自覚されそのような総括は書かれてもいるのだからやはり、よくぞやったというべきなのだけれど)。