『清須会議』みた。

三谷幸喜ってことでまぁ流れで。こういう流れでもないとつんどくのまま見ないので。おはなしとしては、本能寺の変のあとの織田の後継者を決めるというおはなしで、まぁ大河ドラマみたいなはなし。三谷の『真田丸』ってのもあったし、『麒麟が来る』ってのも今年までやってたし。で、役所広司大泉洋小日向文世鈴木京香寺島進染谷将太も、なんかそのへんとか大河に出てそのへんの役をやってたような人なので、既視感がつよい。で、これ会議っていうかまぁいまふつうにいういみでの会議の映画では、もちろんなくて、どっちかというと事前の根回しとかで話が進むので、まぁ会議としてもつまらん会議だなあと思うのだけれど、いざ会議の場面での大泉洋の秀吉の呼吸や話の運び方はちょっと会議っぽかったかなと感じた。
そうそう、いつもなら(あるいは昔の)三谷映画っぽいなと思うポイント、日の当たらないところでささやかにまじめにやってる職人みたいな人に一瞬だけ見せ場が訪れる、とか、ツキがなかったうまくいかない人生を送ってた人がちょっと報われるとか、いろいろ伏線をはっては手品のように回収しながらそういう人たちそれぞれに思いがけず光が当たるシーンがある、みたいな作劇が、希薄だなあと。また、おなじことだけれど、「敗けている人たち」へのスポットライトというか、大河ドラマの『真田丸』なんかも、真田なんて敗けることがきまってる側なわけで、それがあらゆる才覚を発揮して善戦するもツキにめぐまれずに最後には敗けていく、みたいなおはなし。そういうのが、『清須会議』にはちょっと希薄で、まぁ敗ける人というのはここではまずは役所広司だろうけれどこれはいかにも間抜けで実力不足。時代からずれてしまった人の好さみたいなのが強調されてそれはそれで魅力的ではあるにせよ、お人好しが敗けてもいまいちもりあがらないかんじはする。鈴木京香も、謀略をめぐらすには力不足。このあたりは敗けてとうぜんにしか見えない。なので、小日向文世、ということになるけれど、これとて職人的に才覚のきらめきを見せるというには手数がたらないし、裏方の参謀が奮闘むなしく敗北、というふうにはなってない。まぁけっきょく勝者の大泉洋がぜんぶもってくはなしで(まぁさいごにちょっと、日の当たらない場所にいる者 ー 女 ー が才覚の光を一瞬みせるけど)、まぁ、才覚ある者が勝ちますよ、太閤記ですよ、ということなら三谷映画のペーソスの側面はちょっとひかえめになるかなあと。

ぼんやりと考えていて、三谷ドラマで「お人好し」というと『王様のレストラン』の筒井道隆かぁ、という気がしてきた。そうすると、役所広司筒井道隆小日向文世が伝説のギャルソン松本幸四郎という役回りとして、鈴木京香はバルマン三条さんこと鈴木京香というよりはディレクトールの西村雅彦ってところか、しかし、かんじんのシェフ山口智子ほかのチームワークを発揮する面々がいなくて、けっきょくレストランを大泉洋にいいように乗っ取られるみたいなはなし。というとけっこうきのめいるおはなしになる。まぁ、べつのはなしをかってに対応させて文句を言ってても仕方ないわけだけれど。