『黒沢清の全貌』再読。YouTubeでなんとなく黒沢清のトークショーとか見てた流れで。

某日、びみょうに風邪っぽいのかなということで、まぁお正月以来ずっとひきこもっていたのでコロナ的なものではないと見当はついていたものの、葛根湯を飲んだり生姜あんかけ蕎麦を食べたりしておとなしく寝ていることにして、枕もとのChromebook(古いPCを再生したやつ)でYouTube黒沢清トークショー動画などいくつか見ながらうとうとしていた。
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まぁ、このぐらい見たら、『黒沢清の全貌』も再読して見たくなるであろうということで。
以前、読んだときは、じつはピンときてなかった。というのも、基本的にインタビューor対談集で、雑誌で読んだことあるのもあったし、そうじゃないのもあんまりつっこんだ内容じゃないのかな、と感じていたから。まぁでもひさびさに再読したら、このぐらいのかんじかな、という気にはなって、けっきょく全部読み直した。いちおう『LOFT』以降『散歩する侵略者』までの作品についての発言が読める。

ちなみに上↑に貼った黒沢清トークショーのどれかでおこなわれてた質疑コーナーの答えで、なるほどと思ったのは、たしか『神田川淫乱戦争』のアイディアのさいしょが、神田川に降りてみたら見たことない風景だったから、という話の流れで、作品の発想はそういう感じで生まれるのか、みたいな質問だったと思うのだけれど、(たぶん回答の発言が動画編集されてるので違う話の流れだったかもしれないのだけれど)、「シーン」というものについて。演劇は、3幕とかの場合もあるけれど極端にはひとつのシーンだけで成立することもある、それに比べて、映画というのは極端にたくさんの「シーン」でできている。平均1-2分の「シーン」が80シーンぐらい集まってひとつの作品が出来上がる、というはなしをしていた。言われてみればそうだ。そうすると話の流れ的にどうつながるかってことだが、(動画の中では直接そういう風には言ってなかったけれど)たとえば一つの印象的な「シーン」を撮りたい、というアイディアがあったとしても、それだけで作品ができるわけでは全然なくて、いろんな場所で大小いろんな「シーン」を撮ってそれを組み合わせることではじめて映画というのが成立するのだ、したがって「作品の発想が生まれる瞬間」というのは、まぁ、映画を撮ることの全体からすれば、たいしたことではなくて、ひとはしばしば監督の直感みたいなものだけに注目してしまうから「作品の発想が生まれる瞬間」なんかが気になるのだけれど、まぁべつにそれはどうでもいいことなのである ー とまでは動画の中では直接言っていなかったけれどそう言うことなのかな、と思い、なるほどと思った。