このところ読んでた『試験に出る哲学』『アメリカ』。

帰省列車の片道で読んでたのが『試験に出る哲学』。これは意外に哲学の教科書っぽかった。で、帰路の電車で読みかけて残りは通勤電車で読んでたのが『アメリカ』。新書にしては厚い。例によって橋爪×大澤の対談本。こんどはアメリカについてということだが、読んでみると、プロテスタントについて、プラグマティズムについて、あとは日本について書いていて、それがアメリカについて語ることになっているというていで書いてある。

通勤電車で読んでた『ダークウェブ・アンダーグラウンド』。

なにかかつての『構造と力』的に時代変化を象徴する本だと絶賛している人がいたのでほんまかいなと思って読んでみた。

『ウディ・アレンの夢と犯罪』みた。これは暗いほうのやつ。

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つんどく状態のウディ・アレンを見るシリーズ。これはまぁ、タイトルから十分に予測はついたわけであるが、暗い犯罪モノ。こういうのをときどき撮るよねという。まぁ、こういうのもあっての、ペーソス滲むラブコメ、っていうか、ラブコメを撮っているうちにときどきこういうのを撮らずにいられなくなるんだろうね。

『おいしい生活』みた。

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つんどく状態のウディ・アレンを見るシリーズ三本目。これはラブコメではない落語みたいなおとぎ話みたいなコメディで、残念ながら若い美人は出てこないで中年ばかりがぞろぞろ出てくるのだけれど、まぁしみじみとした好感はもてる。このたびのウディ・アレンはインテリではなくてムショ帰りのまぬけなコソ泥っていうか今は皿洗いのバイトをやっている。で、もとストリッパーのしっかりものの嫁がネイリストで家計を支えて、まぁ貧しいながらも、まぁ貧しいけれどもまぁささやかな生活をしているんだけれど、あるときウディ・アレンが銀行強盗の天才的なアイディアを思いついて昔の仲間を呼び寄せ・・・とかなんとか。まぁそれで、おはなしは二転三転して・・・二人は大富豪になり・・・しかし成金の悲しさ・・・そんなこんなしているうちにヒュー・グラントが登場し・・・あれやこれやで夫婦の危機が・・・そしてウディ・アレンは家を飛び出して頭の弱い嫁のいとこと気楽な貧乏中華料理店で楽しく意気投合・・・そしてしかしあれやこれや・・・ハラハラドキドキの犯罪あり・・・そしていっぽうあれやこれや・・・で、あれやこれやあって・・・まぁおとぎ話みたいなエンディング・・・という。もう、中年ばかりぞろぞろ出てくるおはなしならではの、しぶく微笑ませる、あれ、これはやはりこれはこれでラブコメだったのだろうか、という。そういえば、けっこうさいしょのほうの屋上のシーンとか、悪くなかった。

『世界中がアイ・ラヴ・ユー』みた。ミュージカルというのは心の満ち足りた人が楽しくうれしくやるもんだろう。

つんどく状態のウディ・アレンを見るシリーズ。これはミュージカル仕立て。で、そりゃまあそれなりに形にはしているけれど、ウディ・アレンがミュージカルはないなあと。ミュージカルというのは、心の満ち足りた人が楽しいとか嬉しいとか、ついつい唄いだし踊りだしてしまうというもんだろう。本作の主人公は、ニューヨークのとびきりのセレブの家族。弁護士とその妻(資産家の娘)が、お互い再婚どうしで、そこにたがいの連れ子の年頃の娘たちがいるよと。ウディ・アレンは弁護士夫婦の友人、ていうか妻の元夫で連れ子の父親であると。ウディ・アレンは元妻に未練があるままいまはパリに住んでいる売れない作家で、でもいつでも若い彼女に捨てられたと言ってはたびたびニューヨークの元妻夫婦のもとに泣きつきに来る、と。まぁそんなかんじ。娘たちは婚約者と、あるいはステキ男子と、あつあつであるだの恋に落ちたのなんのといっては夢見るように歌い踊り、そしてウディ・アレンは実の娘にそそのかされてまたぞろジュリア・ロバーツ(夫との生活になんとなく満たされなさを感じて精神分析に通っている)にアタックをしかけたりする。ま、そういうかんじで、季節は春、ニューヨークの桜の風景から始まって、それから夏のバカンス、美しく紅葉する秋、雪景色の冬、というぐあいにめぐり、その一年の家族それぞれのいろいろの物語、ということになる。はい、そうすると、このお話の中でウディ・アレン的な登場人物はウディ・アレンジュリア・ロバーツだけということになり、そして、そのエピソードは全体からすると一部分だしまぁ厳しく掘り下げられるわけでもないので、まぁミュージカルとしてはセレブの娘たちが歌い踊って正しくけっこうだけれど、まぁ、ほんとうのことをいうとウディ・アレンが撮っているからだと思うけれど本当に楽しくうれしい浮き浮きした感じになってるかというとよくわからない。最後のウディ・アレンが踊るダンスシーンなんかは、もうちょっと夢のようにスムーズに踊ってるように撮れなかったのかと少し文句を言いたくなるかんじもある。でもまぁ、ウディ・アレンが夢のようにスムーズに踊ったらそれはもうウディ・アレンではないので、それはまぁそんなところなのだろうとは思う。まぁ、よかったところをあげると、長女のドリュー・バリモアが美人に映ってたとか、元妻のゴールディ・ホーンにちゃんとそりゃそうだという説得力があったとか、例によって好きなジャズの小唄が流れたとか、そういうこともあるけれど、まぁいちばんのひろいものは、ウディ・アレンの娘で生意気な次女、バカンスは父親とヴェニスで過ごし、ひょんなことから父親をそそのかしてジュリア・ロバーツにアタックさせようと作戦をめぐらす、またこの映画全体のナレーターでもあるという、まぁ言ってみればウディ・アレンの有能な分身という役回りが、ナターシャ・リオンであるということ。
ところでそうそう、本日、散髪に行ってきましたということを、ライフハックの一環としてここに書いておく。

『誘惑のアフロディーテ』みた。

ウディ・アレンがつんどく状態でたまっているので見た。どんな話かというと、若くて美人で背が高くてスタイルが良くて頭が弱くてお人好しで不遇な女優志願の娼婦に、ひょんなことから、負け犬のインテリのウディ・アレンが出会って、ああだこうだあって、ウディ・アレンが困ったような言い訳がましいような顔で手を振り回してセリフをしゃべりまくって、ああだこうだあって、皮肉でペーソスの効いたハッピーエンドが訪れる、みたいな話だったと思う。あと、オールド・ジャズがひっきりなしにBGMで流れていたと思う。まぁだいたいそんな話だった。で、それはよかったのかというと、よかった。どう見たって政治的に正しくない差別的な、ウディ・アレンの身勝手で歪んだ願望を恥ずかしげもなく鈍感にそのまま造形したヒロインが、魅力的に映るのは、ウディ・アレンが恥ずかしげもなくこれでもかと魅力的な女優を選んだためであり、また、ウディ・アレンを見続ける自分が恥ずべき歪んだ願望を隠すこともできない負け犬だからだろう。「When Your Lover Has Gone」は好きな曲で、毎回、好きな曲が選ばれるのである。

平成最後の日だそうなので『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』再見。やはり号泣ですよね。

このところテレビではしきりに平成を振り返る的なことをやっていて、いやがおうでもそういう気分になってしまうわけである。それで何か見ようかなということで、これを再見。2001年4月の公開だというので、平成ってことでいうとまだ前半だったことになるけれど、21世紀の初めにあたっての本作は、やはりいい。クレヨンしんちゃんのフォーマットでやりたいことをやってしまった「作家の映画」だといういみでクレヨンしんちゃん版『カリオストロの城』と言われている。映画を見に来た子どもをほっぽらかして子どもを連れてきた大人たちにひたすら刺さって号泣させたという。ふと『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』を思い出したり『ダーティ・ハリー』を思い出したり『ガントレット』を思い出したり。

いま検索してみたら、自分が本作を知った映画レビュー個人サイト、そのころすごく読んでた「m@stervision」というサイトのアーカイブが残ってて、何度も読んだ本作のレビューをまたひさびさに読み返してやはりよかった。
www.ne.jp