とばし読み禁止の本をとばし読み。永井均の新書。

私・今・そして神 開闢の哲学 (講談社現代新書)

私・今・そして神 開闢の哲学 (講談社現代新書)

この人の本は、文章の思考のペースにあわせて一歩一歩読んでいかないとわからないのだけれど、そこを通勤電車のなかでとばし読みで読むわけである。よろしくない。
しかしまあ逆にですね、ふつうにゆっくり読んだって、やはりなかなかついていけないわけなので、どのみち再読するのだとすれば、最初はさぁーっと流し読みをして、「この本はこの辺の話を書いているのだな」ということだけ印象に残しておくというのもありだろう、というぐらいに軽くですね、考えている。
以前から、この人のニーチェはほとんどニーチェではないし、ヴィトゲンシュタインもほとんどヴィトゲンシュタインではないように感じられて、どうもこの人はとにかく「素手」で哲学しようということを第一にして、自分の考え方にあわせて古典を勝手に利用してしまうので(また、この人の考え方じたいも、私の考え方とはずいぶんノリが違いすぎるってとこもあって)、どうも教科書的に言うともひとつやなあ、と思っていたのだけれど、ときどきグッと来るところもあるので、気にして読んだりしてみるわけである。
で、今度の本では、「素手」よりもうすこし古典を活用しようというふうに言ってはる。で、ライプニッツ原理/カント原理、などというのがでてきたりして、少し面白い。
いや、「haecceitas」とか「quidditas」という、いまやエスノメソドロジー用語でもある(けどけっこうピンと来ない)中世哲学用語まで登場しているわけで、そのへん、教科書的なサービスもちょっと増えているように見えなくもない。ちゃんと読めばかなり面白いだろう。