菊地『東京大学のアルバートアイラー』はねえ・・・

そういうわけで、先日購入していたのを、洗濯をしたり碁を見たりしながら、パーカーやモンクを聴きながら、さーっと読んだのだけれど、うーん。
東大の講義の半期分、「歴史編」ということなのだけれど、ごくごく通り一遍のジャズ入門の、ジャズ史おさらい、だったなあ。
本の中では、従来のジャズ史があまりに物足りないものなので自分たちが画期的なジャズ史を、しかしあらゆる歴史記述というモノがそうならざるを得ないように「偽史」として(という言い方にはもちろん挑発的なふくみがあるわけなのだけれど)提示する、というふうに書いているのだけれど、どこが画期的なのかよくわからないオーソドックスなジャズ史だった。
あとがきの中では、油井正一さんのジャズ史なんかをひきあいにだしてはったのだけれど、油井正一のジャズ本とどこがちがうのかいなというかんじ。

私は学生時代、ジャズを聴き始めるときに、油井正一相倉久人植草甚一、大和明、ほかほか、いろいろなジャズ評論家の本を読んだりして、

ジャズ・ファンの手帖 (植草甚一スクラップ・ブック)

ジャズ・ファンの手帖 (植草甚一スクラップ・ブック)

とくに、そのころ油の乗ってた後藤雅洋さんの本でなるほど!と納得して、ジャズを聴くパラダイムをいちおう自分の中に形成し、その後、加藤総夫の本で、ポスト80年代のジャズの感触を感じつつ後藤パラダイムを相対化する、
ジャズ最後の日

ジャズ最後の日

みたいなことをやっていたのだけれど、
これはべつにとくべつなことではなくて、同世代のごくふつうの「ジャズに興味を持っている人」であればだいたい同じようなコースを歩んでるはずで、
そうすると、いま菊地本を読んでかんげき、ということは、まぁ、ない。
だいたい似たようなパラダイムは、常識になってると思う。
ていうか、10年前の加藤総夫の本のほうが、感触が新しいと思うのだけれど、それはまぁそうで、今回の菊地さんの本は、いわば半期講義でジャズの概論をやるということなんでそんな新しいことなんかできないわけだ。

なので、あんまり格好をつけずに、ごくふつうのジャズ史のテキストとして出してればよかったんだと思うんだけど・・・

ていうか、自分はいまの大学の授業で、ジャズと何の関係もない教育学関連の授業で、情報化社会論と絡めてグレゴリオ聖歌のハウス版とかUS3(なつかしい!)とかジョン・ゾーンとかかけてたこともあるし(さいきんはやってません、でもこう並べるとやりたいことはわかりますね)、10年前には工芸系の専門学校の「現代社会学」の授業でやってた授業は、菊地本で流してたラインナップと近い方針で(まぁ、素人の私の教養&所有音源からなので、ぐっと限られてんですが)曲を聴かせて授業やってた。
古いブルース・シンガーの唄→ベッシー・スミスかなんかの「セントルイス・ブルース」→ルイ・アームストロングとかシドニー・ベシェ→パーカー→ハンプトン・ホーズ「ハンプス・ブルース」、なんちう流れで、ブルースつながりで、どんどん洗練されていったり、白人資本に搾取されるとか、そういう話をしたり、あとロックンロールになったり、ビートルズが出てきたり、んで60年代になって、反動的にアイラーとか出てきたりして、ロックの側ではヴェルヴェト・アンダーグラウンドなんかを対応させて、そこからフュージョンなんかでてきて、80年代の「新伝承派」がでて、さらに90年代になって、ジョン・ゾーン、US3、どうのこうの、とつながって、というような感じで、それを情報化社会と音楽/美術/工芸、みたいなものに目を配りながら、ときどきゴダールなんかも見つつ、D.リンチも見つつ、やってたです。
それはまぁ、とくべつなことではなくて、ようするに同世代で多少なりとも理屈をつけて音楽を聴こうというと、多かれ少なかれそういう見取り図は自分なりにつくってたはずなわけで、『クイックジャパン』の菊地特集で出てきた用語で言えば「80年代教養主義」というのはそういう態度で(たぶん)、
それを工芸系の専門学校や教育学系の大学で授業をやるにせよ、東大の一般教養のたぶん芸術学みたいな枠のなかでやるにせよ、まぁじつはそんな画期的なことではない、世代的なもんなのだと思う。
なので、「東大の授業でアイラーを聴くってだけで痛快!」みたいなことは、じつはたぶんなくて、それはたんなる学歴コンプレックスというやつで、じっさいには工芸系の専門学校でアイラーやヴェルヴェッツを聴かしてたほうがずっとリスキーだったと思う。
ついでにいうと、たぶん、東大生というのは、一般の若い人の平均よりたぶん、アイラーとかに対する受容度というか耐性というか、は高いと思うし、そもそもアイラーぐらい基本的な教養として名前程度は聞いたことある、という層は東大生の方が多いような気がする。菊地さんの言ってるように、ジャズ、とくにバップやフリーなんてのはとても抽象化された音楽なので、東大生みたいなののほうがよく馴染んでるんじゃないかなあと思う。
ちなみに
大東大いうなら、加藤総夫というひとは東大出身でジャズオケのアレンジかなんかやってたの?なので、今は本業の医学の研究だかなんだかでいそがしくてジャズからは足を洗ってるみたいなんだけど、よっぽど東大だぞ。それを超えるだけの「東大性」??を、今回の菊地本からは感じられんので、
だから、菊地さんが東大、東大とれんぱつするほど、かっこわるくみえるんである。

ちなみに、東大うんぬんいぜんのもんだいとして、本のなかで、オーネット・コールマンの「chronology」って曲のタイトルを「chronolgy」って書き間違えている菊地さん自筆譜面の写真が図版で出ているのは、かっこわるいんじゃないかなあと思う。