『非常線の女』。「卓球の愛ちゃん」がなんでこんなところにでているのか。

1時間40分のサイレント(伴奏も活弁もなし)はきびしいのかな?と思いながら見始めたら、面白く見れた。小津の和製ギャング映画。

非常線の女 [VHS]

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昼間はタイピストとして働き、夜は一転して与太者たちの世界で幅を利かしている時子(田中絹代)と、ボクサーくずれの用心棒・襄二(岡譲二)。ふたりは相思相愛の仲だったが、ある日襄二の前に清楚な女性が現れたことから、ふたりの関係に微妙な変化が訪れていく……。
小津安二郎監督が、当時のアメリカ映画に多大な影響を受けて演出したサイレントの和製ギャング映画。戦後の小津映画からは想像できないほどバタ臭いアメリカ映画タッチに驚くが、この時期彼は少年時代から憧れだったアメリカ的な要素を、どれだけ日本的風土の中に置き換えることができるのかを模索していたようでもあり、その意味では彼の若さゆえの意欲をうかがうこともできよう。なお本作のキャメラ助手として、若き日の木下恵介が小津作品に初参加している。(的田也寸志

えーと、出演者のところに田中絹代と書いてあるけれど、これ「卓球の愛ちゃん」です。「卓球の愛ちゃん」が昼間はタイピスト、夜はギャングの情婦です。作品中では「ずべ公」ってことになってます。ギャング、これ、デビット伊東だと思ってください。ボクサー崩れで、いつもソフト帽をかぶってます。で、デビット伊東にあこがれて舎弟にしてもらうのが、つんつるてんの学生服と学帽すがたのガレッジセールのゴリ。ところが、このゴリは姉一人弟一人で暮らしていて、姉が、弟を養うためにレコ屋で働く清楚美人、これがのどまで出掛かってるけど思いつかない(えー、たとえば、若かったときの松浦理英子のきれいにとれてるときの写真とか?)美人。amazonの読者レビューはトリビア入りの名文。いわく、

水久保澄子を鑑賞しよう, 2005/07/26
レビュアー: psi

小津が米国ギャング映画に強い影響を受けていた頃のものであり、ギャング(岡譲司)の情婦を演じる洋装姿の田中絹代が、あまりにミスキャストなことで有名だ。

しかし、この作品の真の価値は、戦前邦画界のアイドル水久保澄子の動く姿を見られる数少ない機会であるという点だろう。もし私生活のトラブルがなければ、戦後も日本の芸能界を牽引しただろう水久保だが、結局は約5年で銀幕から姿を消している。まずは、父親の金銭的思惑に振り回され、松竹から日活に移籍。そこで自殺未遂事件を起こして業界を干される。その後は、フィリピン人青年との国際結婚に失敗(この青年、自分のことをフィリピンの特権階級の子息と嘘ぶいていたが、実際はド田舎の村長クラスの息子に過ぎなかった)。フィリピンから失意の帰国後は、神戸でダンサーとして働いているとの目撃情報を最後に、太平洋戦争が始まる頃には、ぷっつりと消息を絶っている(一部情報では、上海にわたりダンサーをやっていたとも)。

しかし、この映画、最後は岡譲司が水久保澄子をあきらめて、田中絹代の元に戻っていくのだが、水久保のあまりの美しさに目を奪われた観客からしてみると、主人公のこの選択はあまりに不自然でしかない(笑)。「有り得べきことを有り得るように描く」のが小津作品の特徴と言われているが、あらゆる作品を見ても、実は様々な「不自然さ」が存在する点に気づかされる。そして、その「不自然さ」に不安を抱かざるを得ない点こそ、小津作品の醍醐味なのかもしれない。

ストーリー的には、まぁ、どってことないです。
ギャングがいて、自分を一心に慕う情婦がいるのに、住む世界の違う清純女子に惹かれてしまったがために破滅へと一直線・・・なんてはなしは、ずっと前見てもう忘れたけど『ハイ・シエラ』とかだっけ?とか、やくざ映画なんかでもありますよな。

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あと、主人公の男のまわりをうろちょろするチンピラ志願のアンちゃん、これがトラブルを起こしてそのために主人公が危ないシゴトに手を出さざるをえなくなって破滅、とか。ようするによくある話なわけであるのだけれど、ここでは、まぁ、破滅とかしないです。三角関係とかにもあんまりならないです。そういう映画でもないみたい。