早くに目がさめてなんとなく『LEFT ALONE』をぱらぱらと読み返す。雇用の流動化について。

土曜で用がないので寝坊できるのだけれど、学期も半ばになると、朝に目がさめるようになってしまっていて、6時半ぐらいに目がさめて、もったいないのでもう少し寝ていたのだけれど7時半ぐらいには起きだしてしまう。で、のらくらとしていたのだけれど、なんとなく本棚を眺めていたら『LEFT ALONE』の丹生谷貴志の文章ってどうだっけな、という気がしてきて、取り出して読み返し、まぁそれはごく短い文章だったのですぐ読んで、なるほど短い映画評でこれだけ含みの多い言い回しで書けるものなのだなあとそれなりに納得してたのだけれど、柄谷行人がインタビューに答えてる章があるのでそれも読み返すと、やはり面白かった。

スガ 「・・・ただ、どんどん資本主義も変わってきてるわけで、かつて僕らが学生運動していた頃と、今の学生の置かれてる位置は、かなり違うと思うんですよね。日本の場合、様々な条件があるにしても、学生が全然就職できなくなっちゃってるでしょう。そういう状況の中で学生っていうのは、柄谷さんが接しておられて、かなり変わってきてるって思われますか?」
柄谷 「変わってきたかどうかわからないけれども、最近僕が思うのは、学生は何よりも、手に職をつけるようにすべきだということですね。それは今、君が言ったことと繋がっていると思うけど」
スガ 「はい。ただ手に職と言っても、今はなかなか難しいじゃないですか」
柄谷 「もちろん、いわゆる職人は少ないですよ。しかし、19世紀のプルードンなんかが相手にしていた職人っていうのは、今でいえば、例えばプログラマーに当たるわけです」
スガ 「でも、プログラマーは30歳くらいまでしかもたない」
柄谷 「いや、物によるけど、そんなことはないでしょう。むしろ僕がいいたいのは、僕だったら会社を辞めて転職したり、集まって自分で企業をつくったりする、そのやり方が、職人と同じだということです。アソシエーションというのは、そういうタイプの労働者でないとできませんね。マルクスが称賛した生産協同組合というのは、いわばそういう人たちがやっていたのです。スイスでいえば時計職人のような労働者がやっていた。ところが、19世紀後半以降に、重工業を中心に国家的な巨大企業が発展してきた。エンゲルスはこれを国有化すれば社会主義になると考えた。だから、エンゲルスやレーニンは、それまでの生産協同組合などを小馬鹿にしたわけです。しかし、彼らの方向は国家主義であって、社会主義とは程遠かった。一方、マルクスが支持したアソシエーションというのは、まさに"自律"した労働者の生産協同組合を基盤にするものです。それはもう古い話だとは思わないのです。君がさっき言ったように、今日産業資本主義が変わってきたという面があるわけです。それは一方で、従来の巨大企業が分割されたり、ネットワーク型になってきていることです。他方で、労働者も契約社員のような形態が増えている。そういう条件は、ある意味で、19世紀前半ぐらいまでの頃に似てきていると思うんですよ・・・」

まぁ、プログラマー契約社員というのがいま、労働条件としてどういう状況にあるのか、労働運動の中核として期待できるぐらいの力を持ち得るのか(低水準使い捨ての待遇で、およそ運動するだけの力を奪われているんじゃないかとおもえなくもない)、知らんけれど、お話としてはおもしろい。柄谷という人は、19世紀の議論が現在の状況の中に生きているのだ、というようないい方をする人で、それが面白いし、共感できる。現状を見ていて、それを「これはプルードンじゃん?」と見てしまう視力というのは、ちょっとディック(レーガンの政治に原始キリスト教時代の帝国の圧制を見る、しかも本気で、みたいな)みたいなところがあるし、そのはずしかたがユーモラスでもある。