新教育の森:「法教育」の現場/上 「き・ま・り」って必要!?

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/mori/news/20061002ddm004040196000c.html

市民が刑事裁判に参加する裁判員制度が09年5月までに始まるのを控え、学校現場での「法教育」の取り組みが進められている。裁判の仕組みや個人の権限、社会のルール、国と個人との関係について学ぶなど法教育の領域は幅広く、社会に主体的にかかわる人材を育てることが期待されている。広がりつつある法教育の現場を2回連続で報告する。【吉永磨美】
 ◇「トラブル」例に問いかけ/「対処能力」を身に着けて
 「『みんなの生活 ルールでき・ま・り!』と書いてあるね」
 茨城県ひたちなか市那珂湊第一小学校(根本正裕校長、児童数497人)の5年生の教室で法教育の授業が始まった。安島孝博教諭(45)がA4判のリーフレットを配り始めた。同市教委が独自に作製したものだ。
 安島教諭が「ルールって何だろう」と問いかけると、児童たちは「守らなきゃいけないこと」「規則」「約束」と声を上げた。
 リーフレットには公園で遊ぶ子どもたちが書かれ、野球とサッカーの場所取りやブランコの順番を巡るトラブルなどいくつかの問題行動が描かれている。
 さらに安島教諭が「『困っている人』『間違っている人』を探してください」と問いかけた。
 ブランコの順番について、男児が「乗っている子に『俺(おれ)も乗らせろ』と言っている子が間違っている」と指摘した。
 すると「順番を待っている人も注意しないとだめ」「ブランコに乗っている人は時間を守って乗っているのかな」などの意見が出た。
 意見を黒板に書きながら、安島教諭は「誰が間違っているのかが微妙になってきたね」と語りかけた。授業は、きまりの必要性について児童が自然に気づくよう進められた。
 授業を受けた東条優梨奈さん(11)は「誰が間違っているかを決めるのは難しい。ブランコの順番については時間を決めて交代して乗った方がいいと思う」と話した。
 安島教諭は「今の子どもたちにとって、人との付き合いでトラブルの対処方法を考えることは大切。法教育を通じ問題解決能力を身に着けてくれればうれしい」と話す。
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 授業内容は、ひたちなか市の教師らで構成する法教育の研究会が弁護士らの協力を得て、自分たちで考えた。内容は裁判や法律など司法分野に限らず、きまりに対する考え方など幅広い。今後は振り込め詐欺などの消費者問題なども取り上げようと研究を続けている。
 同市が04年に行った調査で、小学6年生に比べて中学3年生はきまりを守ろうとする規範意識が低い傾向がみられた。きまりを知って考えることの必要性があると市教委は判断し、同年から法教育を積極的に進めている。市教委の関口拓生指導主事は「みんなが気持ちよく過ごすには、きまりを作って守ることが大切だということを学んでほしい」と話す。
 また05年に、市内の小中学校で行われた法教育授業を見学した保護者のアンケートには「ルールに縛られるのではなく、ルールによって自分や他人の自由も守られているのだということを家庭でも話していきたい」「法を守る者は法に守られるという社会作りを、大人が実践していかなければと思う」など前向きな意見が寄せられたという。
 一方、普及に向けてハードルもある。
 現行の学習指導要領ではゆとり教育が重視され授業時間が減っており、「通常の学習内容を消化するのに精いっぱいで法教育まで手が回らない」という声もある。また小学校は中学校に比べ、教育課程で法教育の位置づけが難しい。
 関口指導主事は「今後も先生方に法教育の意義や趣旨を広めていくつもり。やるのが難しいといって進めなければ一度出来た流れも止まってしまう」と話す。
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 日本の法教育は欧米の影響を受けて始まった。米国では78年に法教育法が成立しており、法律だけの狭い概念に限らず、法律家協会が中心となり「法教育指針」が作られるなど取り組みは盛んだ。
 日本国内においては、90年代から学識者や司法関係者が中心となって、米国の取り組みを紹介し徐々に普及してきた。
 国の法教育推進協議会のメンバーで、日本弁護士連合会・法教育委員会事務局長の鈴木啓文弁護士は「日本では『法』が一般の人にとって遠い存在。『法』の仕組みや考え方を根本的なところから伝えたい」と語る。
 法務省司法法制課の担当者は「法は規制するもの、拘束するものという意識が人々にある。しかし、法は社会全体で個人が尊重されるため、みんなが幸せになるために決めるものだということを知ってほしい」と言う。
 法務省の法教育研究会は昨年3月、法教育の考え方や具体的な教材を「はじめての法教育」(ぎょうせい刊)という本にまとめた。
 裁判員制度や訴訟の仕組みなどについて検察官や裁判官、弁護士による出前教室を実施するなど法務省や司法関係者の取り組みも盛んになっている。
 今夏には全国各地で、裁判所や地方検察庁弁護士会が連携、教師に対して裁判員制度と法教育を講義するセミナーが開かれた。また文部科学省は今年度中に改訂予定の新しい学習指導要領で、法教育について配慮することを検討している。
 ◇多様な考え学んで−−法教育に詳しい江口勇治・筑波大教授の話
 司法制度だけではなく幅広い法教育を進めてほしい。さまざまな問題を他人任せにせず、“武力”を使わないで言葉や制度で解決していく力が身に着けられる。みんなできまりを作ったり学ぶ授業を通じて、子どもたちには多様な考え方の中から物事を決める方法を学んでほしい。立法機関である国会の意義を知ることで、選挙に対する関心の高まりも期待できる。
毎日新聞 2006年10月2日 東京朝刊