『コピペと言われないレポートの書き方教室』。「学生性善説」に基づいているとスノッブに見えてしまうこの世の中。

なんか評判よさそうだったので見てみた。内容はきわめてまっとう。「学生性善説」に基づいている、と書いていて、コピペをしたくなるのは小中高校で「”正解”を見つけてくること」を教え込まれたためで、それを直すには複数の情報源に当たるべし、しかもあえて正反対の意見の情報源を探して当たるべし、そうしたら一つのウェブページからコピペして済ます気はなくなることであろう、ということが書いてある。まっとうすぎる。たぶん現実認識がわたくしとことなる。べつに「学生性悪説」に立つわけではないけれど、しかし、学生さんにとって”よい”レポートを書くことのインセンティブはそんなに高くないわけで、可能な限り少ない労力で目の前の担当教員に”許してもらえる”程度のレポートをでっち上げれば「単位が”来る”」わけで、それ以上の労力をかけて”よい”レポートを書くモチベーションがでてくるしくみというのが、なかなかむつかしいんである。この本では「はじめに」のところで「経済同友会」の「企業の採用と教育に関するアンケート」調査結果なるものを引用して、「採用選考にあたって考慮するビジネスの基本能力」として「論理的思考力」が挙げられているよ、などと言っているけれど、どうでしょう、いまのこの世の中でそんなことを真に受けたら痛い目にあうわけで、論理的思考力がまともに働いていたらありえないようなブラックな事態はこの世のあちこちで見聞きするわけである。少なくとも”よい”レポートなんかさっぱり書いたこともないようなおっさんたちが偉くなってるブラックなこの世じゃないですかあ、「論理的思考」なんて敗北ばかりの、右をみても左をみても真っ暗闇の世の中じゃないですかあ、と思うわけである。どうなんすかね。
あと、この本では、レポートに自分の「意見」を書く、といういいかたをしていて、「意見」と「思い」は違う、というふうに線引きをしている。たぶん多くの場合は「事実」と「意見」は違う、というところに線引きをするのがふつうで、わたくしも授業ではそう言っているので、この本だとちょっと混乱する。もちろん、「根拠のある意見」を書くべし、ということで、べつにそれはそれでいいのだけれど、ちょっとしたワーディングのちがいで学生さんたちはひっかかってしまうんでちょっと困るよねという話で、しかも、「意見を書け」という言い回しは世間一般では既によろしくない意味合いで使われているからこそ多くのレポート作成テキストでは「意見でなく事実を書け」と線引きを強調しているのに、やっぱり「意見」を書けということになると、やっぱり意見でいいんじゃん、というふうになって非常によろしくない。
まぁしかしそのへんを考えていると、「意見を持つ」とはどういうことか、とか、「考えるとは」「思うとは」「事実とは」とか、考え始めるとそれなりにおもしろくはあるね。

たとえばちゃらっと検索すると

意見(いけん)の意味 - goo国語辞書
い‐けん【意見】
[名](スル)
1 ある問題に対する主張・考え。心に思うところ。「―を述べる」「―が分かれる」「少数―」「賛成―」
・・・

というの(goo辞書)と

意見(いけん)とは - コトバンク
意見 いけん opinion
翻訳|opinion
4件 の用語解説(意見の意味・用語解説を検索)
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
意見
いけん
opinion
人が特定の状況や対象に対してもつ特定の態度の言語的表明。したがって意見と態度とは並行的な対応関係にあり,社会心理学では意見は態度測定の重要な指標とされている。狭義には自己の信念の言語的表明。
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
意見
いけん
ある特定の事物や人物、さまざまな社会的な問題やできごとに対する態度、信念、考え方、価値判断などを、ことばによって表明したものをいう。・・・

というの(コトバンクから)が出てきて、
前者だと「意見」というのは心内の何かであるようで、「思い」「考え」と二アリーイコールのように見えるけれど、
後者だと、「意見」というのは状況や事物への態度のとりかたを言語的に表明したもの、というわけで、これは心の中のなにものかというかんじは後退してるように見える。
たぶん、辞書的な定義だと前者のようになり、百科事典的な定義だと社会心理学とかを経由するので後者のようになる、ということなのか。
ともあれ、「意見」というのを状況への態度表明みたいにとるなら、それはそれじたい客観的「事実」であるともいえるわけで、その「意見」をより客観的ならしめるパフォーマチブとして「根拠を挙げながら言う」というのは、ありのような気もしてくるわけである。でもまあどうでもいいです。