通勤電車で読んでた『限界芸術「面白い話」による音声言語・オラリティの研究』。コーパスをWeb公開してるのか。

限界芸術「面白い話」による音声言語・オラリティの研究

限界芸術「面白い話」による音声言語・オラリティの研究

『煩悩の文法』の著者の人の編著。
通勤電車で読む『煩悩の文法』。 - クリッピングとメモ
で、この本では編者の人はイントロだけ書いてて、なんか、「民間話芸調査研究プロジェクト」a.k.a.「わたしのちょっと面白い話プロジェクト」というのがあるのだそうで、この編者の人たちが2010年から、「面白い話のコンテストを開催して、コーパスを作る」というの。そのWebサイトがある。学術目的に誰でも使えるということです。
「わたしのちょっと面白い話コンテスト」公式サイト
でまぁそもそもこの動画集の、ふつうのしろうとが喋る、正直そんなにおもしろくないちょっと面白い話、というのが、みょうにクセになる。また、日本語を母語としない人が喋ると、なるほど、「流暢な日本語で語る面白い話」の言語形式がとられてない感じがするのもあってまたみょうにクセになる。
「わたしのちょっと面白い話コンテスト」第3回投稿作品
「わたしのちょっと面白い話コンテスト」2010投稿作品
「わたしのちょっと面白い話」第5回投稿作品日本語学習者の部
「わたしのちょっと面白い話」第5回投稿作品日本語学習者の部
「わたしのちょっと面白い話」日本語学習者の部 投稿作品
「わたしのちょっと面白い話」日本語学習者の部 投稿作品
で、この本、いろんな人たちが論文を寄せている。言語学と限ったわけでもなくて、まぁコーパスを使ってるから広い意味では言語に関する議論ではあれ、笑いに関する議論もあれば(そのなかでもたとえばサックスのダーティージョーク論文が紹介されたりもする)、笑いと関係ない文法の議論もあれば、翻訳論もあれば文化論もあり、エスニックジョークについての紹介がいろいろあったりもする。まぁやはりせっかくなので言語学っぽい話のほうが面白くはあるのだけれど、その前提として、こういう「面白い話をしましょう」となったときにしぜんと自分の体験談を喋るというのは、日本では当たり前だけれど、欧米では当たり前ではないよ、欧米では「ジョーク」を披露するよ、という説があるらしく、一瞬なるほどということになるのだけれど、まぁじつはそうでもなくて「ジョーク」のほうが特殊で「体験談」のほうが通文化的だよ、みたいな論文が掲載されていたりする。しかしいずれにせよそんなこと思ったこともなかったので、なるほどねえと(「日本語による、体験の語り」というあたりで『煩悩の文法』の議論につながるのだろう)。で、このコーパスには外国語を母語とする日本語学習者が日本語で語るのもあり、そのなかには不思議な印象の残るものもある。本の中で紹介されていてさっぱりおもしろさがわからなかったもの「本当のロシアの男の話」
「わたしのちょっと面白い話」投稿作品
で、見てみてもたぶん日本語でいうところの「面白い話」ではないし、母語かどうか、流暢かどうかというのと別のレベルだと思ったのだけれど、見てみてわかったのは、本人はすごく面白いと思って喋っているし、たしかになんかおもしろいというかクセになるということ。