通勤電車で読む『いちばんやさしいアジャイル開発の教本』。

これはいかにも教科書だった。なので、ストーリーとかマンガとかのエモさみたいなのはなくて、ふつうにきちんと教科書。いまなぜアジャイルが求められるようになっているのか、みたいな話から。

普通にきちんと教科書、というのがどういうのか、というのがむつかしい。また、この本を「普通にきちんと教科書」と表現するのが当たってるのかもわからない。テーマごとに項目がこまかくわかれているし、ページを開くと、本文のほかにいろんな図表やコラムがレイアウトされててるので、文章を頭からしっぽまでしっかり通読するというより、ぱっぱっと読み飛ばすかんじに、まぁ、なるようになってる。というかんじの教科書で、まぁ教科書ってそうだったな、ということを思い出す。
ふと思ったのは、かりに「ウォーターフォールアジャイル」という二分法でおおざっぱにわけるとすると、教科書でしっかりあらかじめぜんぶ勉強してから実際にやる、というのはウォーターフォールっぽいし、じゃあアジャイル的なことをやるとすればどういうテキストが役に立つだろう、とか、考えるとおもしろいかもしれない。たぶんそのつどつまみ食い的に使えるものが使いやすいかな、という気もする。あるいは別ルートで考えると、ストーリー仕立てみたいなしかけが使いやすい理由みたいなものもありうるのだろうか、という気もしてこなくもない。えーとたとえば、あらかじめ一般論的に書かれたドキュメントに従って実行するのではなくて、具体物や具体例からふりかえりによって学びを得る的な?