通勤電車で読む『方法としての行動療法』。

以前、動機づけ面接の本を読んでいた時に、行動療法の人の本が面白くて( https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2023/03/01/172515 )、そこで参照されていた本を読んでみた。行動療法というと、まぁ世代的出自的にあまり良いイメージを持っていなかったというのが正直なところで(まぁ、1980年代にユング派の拠点みたいな学部で大学生時代を送ったわけなので)、しかし、ふと読んでみたら悪くない。タイトルにある「方法としての行動療法」というのはつまり、行動療法は大理論に従って治療を進めるのではないよということで、たくさんの技法、対象を認識する技法とか行動変容を導く技法とかがたくさんあって、患者さんをみながらそのつどそれらをうまく適用していって進んでいくんだよ、という、言われてみれば極めてもっともなやりかたであると。で、ようするに患者さんを見ながら、どのあたりが「治療の入り口」になりそうなのかを見極めたり、治療目的が実現しやすいように患者さんの環境をいいあんばいに整えて構造化したりとか、そういうのは、ひじょうに実践的で、「よい面接」ができるかどうかにかかってるなあ、と。いわゆるクライアント中心療法だけがクライアント中心なわけではなくて、流派はなんであれ、「よい面接」というのは、クライアントの言うことによく耳を傾けたり、クライアントをよく観察したり、クライアントが何に困っているのかを理解したりすることでできあがるんだよなあと。で、この本にはたくさんの症例が書いてあって(というかそういうわけで行動療法は症例に沿いながらでないと方法の説明のいみがないというわけである)この著者の人は、「よい面接」をして、的確に治療の入り口を見つけ、いろんな技法を用いながらうまく治療を進めて、症状を軽くしているようにみえる。いつもながら、「力のある人」の本を読むと感心するばかりである。
そうそう、特に印象的だったのは、神経症で強迫行動に振り回されているような患者さんというのは、とにかく、疲れはててどうにもならなくなってるんだなあということ。いわれればそうだ。そして周りの人たちも疲れはててどうにもならなくなっている。なので、うまい入り口を見つけて、患者さんがいちばん困っているところから、あるいはいちばんかんたんなところから、あるいはいちばん変化が起こりやすい所から、少しでも症状を軽くすること&その変化をちゃんと実感できるようにすることによって、患者さんは自分がコントロールできるんだという自信もとりもどすし、治るんだという希望が持てるし、疲れはてて身動きが取れなくなっていた患者さんが少しずつ日常をとりもどす。ふつうにシンプルにいいですよな。