『推し、燃ゆ』読んだ。
先日、行くことのできた感じのいい本屋さん(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2023/11/25/210539)で買った『推し、燃ゆ』を、週末に読んだ。たぶん芥川賞受賞のタイミングで新聞の文芸時評かなにかで見かけて、読みたいなと思っているうちに月日が流れ文庫化されて、まぁでもつんどく本に圧迫される日常のなかで小説を読むなど贅沢と思っていたところで、感じのいい本屋さんで何か買って帰ろうということになって、まぁじゃあこれを買うことにしようとなったしだい。で、読んだらまぁやはりよかったわけで、思ったより折り目正しい、幼稚っぽさのない文章で書かれていた(いやまぁ偏見だけれど、「推しが燃えた」の一文で始まる、アイドルおたくが主人公の一人称小説、というのでそういう予断を持ってたわけである)。推し、ということでいうと平尾アウリ『推しが武道館いってくれたら死ぬ』という決定的なマンガがあって、あの切迫というのは本作にはじつはないわけだけれど(ていうかどんな作品にもあそこまではむりだろうけれど)、じつは本作はむしろ語り手の生きづらさみたいなもののほうが焦点なんじゃないかという気配もあって、どうやら語り手は以前、学習障害なり発達障害なりなんなり、よくわからないけれどなんらかの診断を受けていたような気配があり、なので学校の勉強にもついていけず、アルバイトも日常生活もなんとなく上手にはできていないような気配があり、そこでしかし推しに出合いひたすら一心にすべてをささげて推す行為によって自分が支えられる、みたいなことになっている。推すということではじめて打ち込むことができるようになって、推しのあらゆる情報や言動をメモしてファイルしてそれを解釈するブログには常連のフォロワーもできているということで、何回か引用されるその文章は、本作の文体に似て折り目正しい文体なのだった(いちおう、ブログの文章はパソコンで漢字変換も出てくるので学校の勉強の作文のような苦手な思いはしないというふうに説明されている)。ふむ。なんとなく、作品のタネとして「生きづらさ」を持ってきて、そこになんらかの障害らしきものの存在を暗示しながら進めるというところにチリっと引っ掛かりをおぼえなくもなかったけれど、それはそれとして、推すということを端正な隙のない文章で描いててよかった。