通勤電車で読む『文具と雑貨づくりの教科書 第2版』。

文具と雑貨づくりの教科書 第2版

文具と雑貨づくりの教科書 第2版

いいデザインの文具がその背景のストーリーとともに紹介されている。日経デザイン編。いまここに貼り付けようと思ってよく見たら「第2版」とあった。

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』読んだ。さらっと(手癖で)書いたものみたい。

まぁ8月が終わるころ、夏休みの宿題みたいなかんじで夏になにか読んだということにしたいということもあって積読になってたのを読み始めた。で、さいしょずっと乗れなかったが、まぁ途中からようやく勢いがついてけっきょく最後まで読むのに夜更かしすることになった。
で、まぁ例によって、世代的に結局は村上春樹は読むんだろうなあと思いながらながねん放置していたわけで、まぁ長さも短かそうだし、まぁ読んでもたしかにあまりぎょうぎょうしい道具立てはなくて、まぁさらっと書いたものだろうなというかんじ。でもまぁいつもながらのパターンはやはり繰り返されていて、なぜ同じことばかり書いていられるのかなあと思いつつ、まぁ手癖で書くんだろうなあと。以前ここに書いた感想をリンクしておくと
https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20090920/p2
https://k-i-t.hatenablog.com/entries/2009/11/03#p1
https://k-i-t.hatenablog.com/entries/2009/11/22#p1
https://k-i-t.hatenablog.com/entries/2014/08/29#p1
https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20180416/p1
https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2019/02/17/235125
でまぁ、お話としては、主人公が30代半ばで、ところが高校生の時の地元の仲良しグループから二十歳の時にいきなりハブられたということから、いつもながらの村上的な空虚を抱える人間になってですね、で、いまにいたると。で、いまになってそのひとりひとりに会いに行く、というおはなし。そんでまぁ、巡礼ですわね、して、何があったかを知り(あるいは謎は謎のままで)、それであー自分は色彩を持たない空虚だなーとかいいつつ、まぁ生きていこうとかなんとかまぁ、知らんがなと思うけどまぁそういう人もいるだろうし、闇だか井戸だか戦争だかなんだかかんだかをやたら引き合いに出さないのは、まぁ自分的にはそれでいいんじゃないのとおもうわけで、さらっと書いてるというのはそういうところ。夢とか暴力とかエロとか抽象的な悪とかはちらちらっとずつ出してくるし、女子が登場するたびに胸がどうのこうのということを言わずにいられないのはまぁ手癖というかそういう書き方しかできないのだろうというかんじではあるね。ところで、今回登場の仲良しグループというのが主人公のほかが男2人女2人だったわけだけれど、この男2人のほうはべつに1人でも3人でもよさそうな書かれ方で、まぁモブというか、主人公が会いに行った時に適当にそれらしい現在の境遇のヴァリエーションを見せて適当にそれらしいセリフを聞かせるという役回りになってるからそれを1人に言わせても2人や3人に割り振ってもまぁあんまり構造的に変わらない。でまぁ、女2人のほうは、これは絶対に2人じゃないといけない書かれ方で、つまり、村上春樹がお話を書くときに2種類の女を登場させるということで(まぁそこに胸がどうのこうのという書き方も村上春樹(70歳)的に必須になってるわけで川上宗薫みたいなものだろうとおもうのだけれど)、まぁあいかわらずやってるなあというかんじ。また、いままで主人公の探索を助ける美少女、みたいのがまたパターンとして出てきてた気がするけれどこのたびはアラフォー女子。まぁ、村上春樹(70歳)としてはいつまでも登場人物を若くしてられないというのはそのとおりだろうし、まぁこのたびは登場人物が時間の経過とか、まぁ大人になること?とか老い?とかを自覚するというのがひとつのおはなしになってるので(それはまぁ昔の短編で「駄目になった王国」というので書いてたことだと思うのだけれど)、まぁいまさら美少女もないのだろうけれど、しかし村上春樹(70歳)がいまさら登場人物を30代ぐらいまでにしか設定できないでいまだに大人になるだのなんだのの感慨を書いているというのもね、まぁね、きびしくはあるですな。

まぁ、これ2013年発表なのですか、すると村上春樹(64歳)というべきかね。『女のいない男たち』とだいたい同時期すこし前だと。ま、だからその時の感想(上記リンク)とおなじっちゃおなじってことですかね。

研究室のデスクトップを買い変えつつある。Win10ってうざいなぁ…(OSが変わるときはいつも思うのだけれど)。

http://club.express.nec.co.jp/store/dtpc/ml-4.htmlclub.express.nec.co.jp
研究室のデスクトップが、考えてみれば10年選手ぐらいになってて、いいかげん遅くなってきたし、だいたいWin7のサポート停止もあるし、ようやく重い腰を上げて買い替えを図ったわけである。で、春学期のうちに発注して届いてたんだけれど、まぁ授業期間中は置き換えをしていなかった。で、先日からようやく、研究室の片づけをしつつ、置き換えを。まぁなかなか進まず、初日はとりあえず現行のものはそのままで、新しいのの箱だけ開けてディスプレイなど接続してセットアップまで。で、今日はいよいよ旧デスクトップを片付けて新マシンを机の上に…とやってみたのだけれど、職場のネットワークにうまく繋がらず、やはりそれでは埒が明かないので、ふたたび旧デスクトップを復活させ、新マシンはテーブルの上に置いてそこでLANケーブルをつないで設定。なんやかんやどんくさい間違いであたら時間をつぶしつつ、まぁようやく夕方には祝開通、で、セキュリティソフトとかOfficeとかもインストールして、あとはやはりMKエディタをとりあえず入れて、なんやかんやで夜になってしまったのでまぁ今日はこのぐらいにしといたるかということにした。じつはまだ、旧マシンに繋がっていたプリンタとスキャナを新マシンにつなぐという難事業が残っている、というのも、プリンタもスキャナも対応するドライバに苦労するのではという話を小耳にはさんでるから。まぁ、まだ秋学期が本格稼働するまでには時間はある。

9/2追記。いちおう新マシンを机の上に移動。プリンタに関してはドライバがすんなりと見つかってすんなりとつながった(ように見える)。スキャナに関しては、けっきょく購入時のCD-ROMを持ち出してインストールしたらなんとなく多少できたようには見えるものの、購入時付属でついてたAdobeAcrobatのライセンス認証が通らないかんじ(30日試用ということになってる)。ふつう考えて、これライセンス切れてるのではという気もする。また、スキャナ自体のスキャンの設定がめんどくさい(これまで、「カラー」「カラー高解像度」「白黒」「鉛筆書き」ぐらいの設定を使い分けてた)ので、まぁそれは様子を見ながらぼちぼちやろうかなと。それで、いちおう旧マシンのデータは移したし、このぐらいでいちおう実用になるだろうとは思うけれど、まだなんかあったらやだなあということで、旧マシンを学内的に廃棄処分手続きするのはもう少し待ってからにしようかなとも思っている。
ブラウザ、せっかくなのでedgeでやってみてやろうかと思っていたけれど結局がまんできずにchromeをメインにした。一番の決め手は、「選択~右クリック~Googleで検索」がedgeだとできないということ。それに相当するのが「”~”についてCortanaに質問する」になってるがこれが完全にいらいらさせる。黙って新しいタブでGoogle検索してくれと。→と思ったら、リンクになってるところはそうだがリンクになってないテキストについては「Web内の”~”の検索」という項目が出てきて新しいタブでbing検索するみたい。まぁしかしChromeですわね。

11/14追記。
研究室のデスクトップのスキャナ問題。Foxitのフリーソフトでなんとなくうまいこといけるか。 - クリッピングとメモ
スキャナ問題は、けっきょく、フリーのFoxitReaderを入れたらそこからドキュメントスキャナを操作できてPDFも作成できるようになった。なんか福音である。

帰省の汽車で読んでた『バカロレア幸福論』『「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす』『外国語学習の科学』。あと実家の自分の本棚の佐藤愛子『娘と私の天中殺旅行』。

「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす (光文社新書)

「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす (光文社新書)

外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か (岩波新書)

外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か (岩波新書)

帰省。かばんに新書本をほうりこんで。『バカロレア』は、冒頭にフランスと日本の幸福度ランキングが比べてあったんだが、日本が53位、フランスが32位だったと。それで、失業率だのなんだのの数値はフランスが悪いのに幸福度はフランスが高いぞと。で、フランスにはバカロレアというのがあって高校生から哲学教育をやってるぞ、ということで、バカロレアについて見習えば日本も幸せになるのでは、というのだけれど、ふつうに考えてなぜ32位のフランスに学ぶのか、1位のデンマークに学べばいいじゃないか、と思うのであまり本気では読まない。バカロレアの小論文の書き方にはパターンというのがあって、それが論理的な考え方の訓練になっているというのだけれど、なんか思ったよりうすっぺらいというか、衒学的に哲学者の教科書的な名前と断片的な命題をつぎはぎしてそれっぽっくしあげるというのは、好ましいとは思えないし論理的とも思えないしいかにも悪い意味でおフランス的に見える。
『家事』は、以前、学生さんに薦める新書を物色しに行った近所の書店で見つけていたものだった。まぁそのときはスルーしたのだけれど、読んでみたらまぁ薦めてもいいかなという気はした。まぁ、二部構成だったんだが第一部だけでまとめたほうがまとまりがよかったようなという気もしなくもない。
『外国語』は、勉強になった。
あと、実家では、自分の部屋の本棚から佐藤愛子などを。帰省するたびに繰り返し読んでる。

通勤電車で読む『組織・コミュニティデザイン』。

組織・コミュニティデザイン (京都大学デザインスクール・テキストシリーズ)

組織・コミュニティデザイン (京都大学デザインスクール・テキストシリーズ)

エスノメソドロジーの章や言及がある。

かんけいないけど学校帰りに散髪したと書いておくライフハック。比較的行く頻度が少ない散髪屋さんに行ったら知らないお兄さんが出てきて、どうしましょうと言われてたぶんその説明がうまくいかなかったのだろう、すごく刈り上げられた。

台風のため下宿に引きこもって『 ジル・ドゥルーズの「アベセデール」』を見てた。

これ、7時間以上ある、ドゥルーズのインタビュー。台風で下宿に閉じこもってた勢いで、本棚からひっぱりだして見た。なにしろ動いて喋るドゥルーズというのを初めて見るわけだし、「アベセデール」というのがつまり、ABCD、Aはanimalで「動物」、Bはboissonで「飲酒」、というかんじでいろんなお題を出して質問し、ドゥルーズがてきとうに喋る、という趣向で、ざっくばらんでわかりやすいといえばわかりやすいのだけれど、えーとつまりアルファベットは26文字あるわけだし、まぁ基本だらだらと進んで7時間を超えるっていうか8時間近くあるという、まぁたいくつといえばたいくつな、台風で引きこもってでもいなければ見ないようなものでもあるね。まぁさすがにさいごのほうでXYは飛ばしちゃうんだけど、逆になぜその二つだけとばしたのかというのもあるけどね。
でまぁ、基本、こういうテレビのインタビュー企画というのはドゥルーズは嫌いだというので、なるほどとても含蓄深いとかよくわかるとかいうかんじでもなく、大学を退職?したばかりの64歳の、しかしそのわりには(今の感覚で言えば)老け込んでいるドゥルーズがだらだらと喋るだけなんだけど、まぁその喋りの中で言ってたように、後になってからふと何かわかるということもあるだろうからいいことにする。いやしかし、ドゥルーズの服装とかへやのかんじから見てインタビューは3日?にわけておこなってるみたいなんだけれど、あきらかに最初とくらべて中盤以降で元気がなくなって声も出なくなって咳込みが増えて、老け込んでるかんじがして、ただでさえ肺を病んでるドゥルーズにこんな鬼みたいなインタビューを敢行してだいじょうぶかいなと思いつつ見てた。

ブックレットを見たら、3回のインタビューはある程度日が開いていたらしい。3日連続、ということではなかったわけですね。あと、これ、テレビの企画として撮られて、いちおうドゥルーズの死後に公開という約束で撮られたといいつつけっきょくドゥルーズの生前に、放映してもいいよということになったらしく、テレビで放映されてドゥルーズも見たらしいけど、それはともかく、DVDになったときに、『カイエ・デュ・シネマ』誌が第一回DVD賞なる章を与えたらしい。