「子ども」をキーにした管理社会化(続・憂国呆談)

http://dw.diamond.ne.jp/yukoku_hodan/200504/index.html
浅田彰が、マイケル・ジャクソン裁判にかこつけて言っていること。

以前も「続・憂国呆談」で言ったけど、僕は子どもってのがキーになると思うな。一方で、子どもは天使のような存在だから、それに性的虐待を加えるような人間には人権もくそもない、そういう犯罪者は、刑務所を出たあとも住所をトレースするとか(日本も最近そうなりつつある)、国によってはその住所をインターネット上に公開するとか、極端な話、発信機つきの腕輪や足輪をさせて子どもの集まる場所に近づけないようにするとかね。しかし他方では、子どもは野獣で、とつぜんキレてナイフを振り回したりもするから、金属探知機やなんかでコントロールすべきだってことにもなる。つまり、天使であり野獣でもある子どもをキーにして、今までの人間的主体を前提とした法秩序と違う方向へ、ドゥルーズの言葉で言えば「コントロール(監視/管理)社会」の方向へ行く気がするね。マイケル・ジャクソン裁判も、その流れの上にあるんじゃないかな。

参照しているドゥルーズの管理社会論は、先日ここにもあげた東=大澤本でも参照されていた「追伸 − 管理社会について」というやつ。

記号と事件―1972‐1990年の対話 (河出・現代の名著)

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