イギリス教育レポート「学歴と階級」

http://eri.netty.ne.jp/realvoice/eng/06.htm

岩辺みどり (写真・文)
2005/06/06

■ 階級制度と貧富の差
 イギリスの国会は、今でも『庶民院』と『貴族院』で構成され、貴族院世襲で座席を渡していく制度です。男爵、公爵など歴代の国王から"Sir(サー)" と呼ばれる称号を受けている人々は、その後の世代永続的に長男が受け継いでいくので、学生に話を聞いたところ、クラスの友人の中に将来はその称号を受け継ぐ子がいる、ということも良く聞きました。ただ、こうした人々に昔は国から土地やお金を与えられたものの、階級制度が廃止された(といわれる)現在では、称号のみで暮らしてはいけないので、広大な土地を利用した農業や酪農、祖先の宝物の博物館や美術館経営、ホテル経営などで生計を立てる人も多くいます。
 このようにイギリスの階級制度は、すでに消滅していると言っても実際の社会ではそうもいえない状況が残っています。その影響は、公平に与えられているはずの義務教育にあたる初等・中等教育にもあらわれています。高い学費がかかる、私立に行く子どもたちは裕福な家庭の子どもが多く、大学進学率も高いです。しかし、大学に行かずに早くから働き、職人業についている人々は、学費のかからない公立出身で貧しい家庭の出身が多いというじょうきょうがあります。

注:Sirの中には一代貴族という、世襲でないものもあります。ベッカム選手や、歌手のエルトン・ジョンがもらったのは、この称号にあたりますので、本人達のみで称号は終わります。

◇ ◇ ◇

■ "Sir"の実生活と社会への適応
 イギリス滞在中、私の友人で、すでに5代"Lord"*の称号を引継ぎ、現在長男である彼が、将来的にこの称号を引き継ぐという大学生の家に招かれたことがありました。「広大な土地」と一言でも言えないくらいの所有地、文字通り「見渡す限り」が所有地。軽トラックで林の中を30分くらい走り、その後ろをイヌが走って追いかけ、「犬のさんぽ」。12歳くらいから1人ずつに狩用の猟銃が与えられ、週末には森の1部で粘土の円盤を空中で打って、狩りの練習。小学校から私立の男子校で寮に入り、高校卒業までエスカレーターでの生活。敷地の中には、1000頭近い羊と200頭以上の牛、人口の湖(外観をデザインしていたビクトリア期の名残)、曽祖父の時代に住んでいた家が今では国が経営する博物館になっています。博物館の中にも、新しく住んでいる家の中にも、歴代の国王からいただいた骨董品の数々が並んでいるのです。階級制度がもうない、というのはどこまで言えることなのか、混乱してしまいます。
 ただ、こうした階級に対する考え方は世代によって差があり、男爵である"Lord"の称号とこの広大な土地や財産を受け継ぐ予定である4人兄弟の長男である彼は、自分が貴族であるという事実は、友人にも伏せることが多いといいます。「今は普通の学校に通っているし、貴族だから金持ちのわけではないから、差別されたくない。」というのが彼の主張。ただ、やはり彼の友人の祖父母の世代になると、「自分の子どもが貴族の友達がいる」と聞いただけで、腰を抜かしてしまう人もいるそうで、まだまだ階級社会への考え方は抜けそうにありません。

イギリスでは準男爵はSir、男爵はLordと呼ばれます。

◇ ◇ ◇

■ 労働者階級の教育への思い
 階級制度の影響を強く受けてきた、現在の学生の父母の(労働者階級の)団塊の世代の方々にお話を聞いたところ、「自分たちの頃は中学や高校を出たら働いて、家族の生活を助けなければいけなかったし、学問はお金のある人だけが受けられた。労働者階級の家庭出身のものは、労働者になるしかなかったし、知識階級者や上流階級と一緒の仕事に就いたり、一緒に勉強するなんて考えられなかった。」と口をそろえて語ります。「だからこそ、子ども達には良い教育を与えたい」という思いは、日本の団塊の世代の父母と同じではないでしょうか。

◇ ◇ ◇

■ 若い世代のさまざまな意見
 一方、現在の階級と教育の関係についての若い世代の意見は「過去と比べて良くなった」というポジティブな意見と「いまでも強く残っている」という現状打開派に分かれました。肯定派は、こんな意見。

マシュー 「上流階級のほうが、大学など良い教育を得られる国もまだたくさんあるけれども、イギリスでは基本的な教育は誰でも受けられる。」


カルム 「上流層と下流層のギャップはだんだんと閉じてきていると思うよ。学生はいまや、もっと能力重視で入学できるようになっているから。」

 逆に、まだ格差の残る現状を厳しく見ているのは、こんな意見。
エリザベス 「私は、今でも収入の低い家庭ほど、大学に(子どもを)入れる機会が少ないと思う。高い学費のせいで。」


カースティー 「学費の心配をしなくて良いという点で、お金のある人のほうが、大学に通いやすいのは本当だと思う。でも、多くの私立の学校の方が人文科学系の授業が少ないということにも気付いたの!こうした私立では、生徒が自然科学系(特に理系)の勉強に集中していなかったら、お金を払っていなかっただろうしね。あいまいな意見かもしれないけど、でも、これは私が大学には行って気付いたことなの。ただ、上流階級の人のほうが、やはり良い教育を受けているというのは事実。これはどうしても良い教育はお金を払うことで受けられるから。」

■ 借金を抱えた新社会人スタート
 イギリスは公立の義務教育は無料、大学も国立は学費が安いとはいえ、実はここ数年急激な勢いで値上がりしています。(§5参照)イギリスの大学生は、授業や課題など、勉強に求められる時間が多く、アルバイトをする時間の余裕は余りありません。しかしながら、大学に入ると同時にほぼ全員が1年目は寮、その後はアパートを借りて友人などと住み、実家から離れる為、生活費や家賃など、学費に加えて金銭的負担は大きくなります。イギリスでは、両親が家賃、生活費まで仕送りをできるのは、やはり比較的裕福な家で、大半の学生は銀行から学生ローンで、学生時代は無利子でお金を銀行から引き出して使うのです。簡単にいえば、0から始まる口座を銀行に開き、どんどんマイナスになっていく口座です。年間200万円位まで使えるようになっていますが、これでほしい洋服を買う、なんていう余裕はほとんどなく、高い家賃、食費、教材費などに消えていくのが現状です。なかには、大学の途中で1〜3年休学して働いてお金を貯めて、また大学に戻るという生徒も多くいます。こうしたローンなどのため、イギリスの学生は社会に出る時にはすでに何百万円という借金を背負っているのが現状なのです。

NTS教育研究所HPの「国際教育情報室」の「イギリス教育レポート」
http://eri.netty.ne.jp/realvoice/eng/index.htm

2階建てバスと紅茶の国、イギリス。
2004年に留学していたイギリスの教育事情を、学生へのインタビューなどと一緒にレポートし、進学率110%の裏側を探ります。

Backnumber    
2005/05/16 §1 イギリス高等教育の高い進学率の理由
2005/05/18 §2 高進学率が生み出す新しい問題
2005/05/24 §3 イギリスの中等教育の面白さ
2005/05/30 §4 中等教育と高等教育のつながり
2005/06/01 §5 中等教育の問題点
2005/06/06 §6 学歴と階級