NHK杯。趙は負けてしまったけれど、武宮の解説だったんでよかった。

趙治勲柳時熏の対局で、散歩をさっさと切り上げてたのしみに帰ってきたのだけれど、なんだかあっさり趙が負けてしまった。それはそうなんだけれど、解説が武宮で、見ながら、武宮のことを考えていた。武宮が予測した手よりきびしい、というか無理めの手を、趙は打つわけで、武宮は「あっ!」とかいって本気でびっくりしていたりなんかしたのだけれど、それが趙なわけで、ぎゃくにいうと、そうやって無理をして負けてしまう趙を見ながら武宮は、「なんでそんなことするのかなあ」とでも思っているにちがいないのだ。逆に、武宮という人は、なんにもしないで自然に打っていれば勝ってしまう、というような、なにしろ宇宙流の棋風であって、これはやはり天才的なものがあると思う。ただまぁ対局相手の人たちはもうすこしごちゃごちゃとやってくるので、それに付き合っているうちに自然に打てなくなってそのうちポカが出て負けてしまう、みたいな人なのだ。趙の方が、「ごちゃごちゃ」を人一倍やりすぎて、勝ち負けかんけいなく「ごちゃごちゃ」をやることに執念を燃やしてるんじゃないか、というぐらいものすごい迫力で「ごちゃごちゃ」をやるひとで、だからそれで負けちゃうこともあるわけで、でもどっかでそれでまけてもいいと思っているようなふしがあるところがカッコイイのだけれど、武宮のほうは、ぎゃくに、どうしてだれもみなごちゃごちゃやるのかなあ、碁ってのはなんにもしないで自然に打っていればそれがいちばんなのになあ、と思いながら、しかしまぁそういう天真爛漫なことでは俗世ではやはり勝てないこともあるわけで、やはりやっかいごとにつきあわされているうちに負けちゃうこともあるわけで、でもこれまたどっかでそれはそれでいいや、と思っているようなふしがあってきもちいい。