左派がない。薬師院仁志『日本とフランス二つの民主主義』

日本とフランス 二つの民主主義 (光文社新書)

日本とフランス 二つの民主主義 (光文社新書)

やはりおもしろい。
ヨーロッパ的な政治の伝統でいえば、自由主義とかリベラルとかは、右左でいうと右派の主張なのだ、と。
自由にほって置けば、既得権を持ってる連中ばかりが得をするに決まっているので、自由=保守である。いまさら新自由主義のへったくれのといってるけれど、そんなことは今に始まったことでなく、伝統的に、ごく基本的な常識として、自由主義とかリベラルとかは右派であり保守である、と。
これは、たぶんごくたんじゅんな教科書的な指摘なのだろうけれど、私はいわれるまでなんとなくピンと来てなかったし、たぶん日本の文脈ではそういうリアリティがなかったんであるらしい。
消費税導入に「ダメなものはダメ!」と反対したり、公務員削減に反対しなかったり、NPOや市民団体やコミュニティに期待したり、およそ「左派」らしからぬ「珍妙な」民主主義を一貫して提示しつづけてきた「左派」諸政党のトンチンカンぶり、という書き方は、読んでいて面白い。

自由民主党が「リベラル・デモクラティック・パーティー」を名乗り、民主党の中堅・若手議員が「リベラルの会」を作り、社会民主党が「社民リベラル」を掲げる日本では、リベラルとリベラルとリベラルの中からひとつを選ぶという選択しかない。

みたいな言い方が可笑しい。
新聞の光文社新書の新刊広告で、次の自民党総裁は必読だとかいうコピーが書いてあったけれど、誰か知らないけどたぶん次の自民党総裁になる人が読んでもあんましいみない気はする。
この本を読むべきは、左派政党のほうの党首なのだろうけれど、そもそも日本に左派政党が(共産党も含め)存在しない、というところがもんだいだということだろう。
さしあたり、オフビートなギャグ(というか、「しょうもないこと言い」さくれつというか)が楽しい。
内閣府のサイト内にある、さる閣僚のプロファイルに麗々しくもぬけぬけと書いてある「・・・を父に、・・・を祖父とする政治家名門の系譜」などという文言をちゃんと拾い上げて、

首相官邸の公式ページ内において、まさに公式に書かれているとおり、現在の日本には、「政治家名門の系譜」の実在が公認されているのである。
逆にいえば、必然的に、それ以外の系譜との差異や区別が実在することが公式にみとめられているということであろう。
・・・
たとえば、1990年以後に誕生した内閣総理大臣を見れば、・・・の孫にして・・・の息子、・・・の孫にして・・・の息子、・・・の息子、・・・の息子、・・・の息子、・・・の息子、・・・の孫にして・・・の息子、といった顔ぶれが並ぶのである。この間の総理大臣で政治や選挙と無縁の家系の出身者は、漁師の息子に生まれた社会党の村山首相だけなのだ。

と書き並べて「古い世襲体質の下での構造改革」と言ったりしてるのは、さしあたり笑える。

じつは、近々出る論文を、「グローバル資本主義システムがどうせ勝利しちゃうんだから、抵抗するにせよなんにせよいずれにせよそっから先を見越した目線で考えよう」みたいな趣旨で書いてしまったのだけれど、ちょっと淡白すぎたかなあ、と反省したところ。