よくもわるくも、何十万部だか百万部だか小説が売れてしまう人が「読者だけを信じる」と言っても、説得力がないわけで、ひじょうに規模が大きいけれど本質的にはお山の大将の内弁慶的なインタビューだなあと見えるところが多かった。小説を出版して特設ウェブサイトを開いたら、6000通、だか、「週に6000通」だかのメールが届いて、それを全部読んでそのうち1000通だか1200通だかに返事を書いた、とか言っていて、それは大変苦労なこととは思うけれど、何十万部だか百万部だか本が売れたという購入者たちのうちウェブサイトを見てメールを送りつけようと思った6000人、さらにそのうち相手をした1000人だか1200人だかというのは、たぶん、けっこうな「春樹さんファン」で、それは村上ホームページ本(『村上さんに聞いてみよう』とかなんとか)というの見ていると想像がふくらんでしまうわけで、けっこうイタい感じの人たちを含む、まぁ心酔者っぽい人たちなわけで、まぁそんな人たちにぶあつくとりかこまれるとちょっとは気分がいいかもしれないけれどやっぱり逃げ出したくなるのがふつうの神経で、だから一時期海外に住んだというのはまともだなあと思うのだけれど、なんか、毀誉褒貶のなかでも誉とか褒とかの部分こそが執拗に残るわけで、それに対してかなり無防備かなあと思う。日本の(あるいは翻訳されてるから世界の、ということかもしれんが)読書人口
からして、何十万部、というのはたぶん売れすぎで、つまり、買ってる人のうち、ふだんからいろいろ小説を読む人は数万人か数千人かもしれず、のこりの数十万人はふだん小説なんか読まないけど話題だから買ったとか、春樹さんの新作だけを待っていた人かもしれない。そういうひとたちは、つまらない偏見を持たない読者、といえるかもしれないけれど、それをもってして「読者だけを信じる」とか言って、地下一階だの地下二階だの、自分は地下二階で書いてるのでそこらの地下一階の批評では分析できないだの、吹いてるのは、ちょっとどうかと思う。
あと、かんけいないけど、2009年春の段階で、ちらっと、もし9.11が起こっていなければ世界はもう少しましな、正気な世界として進行していたはずで、ほとんどの人びとにとってはそちらの世界のほうがずっと自然だ、と喋っていて、ちょっとぎょっとした。この人の書く「悪」とか「闇」とか「狂気」とかというのは、自分がなんとなく思っているそれとはちょっとちがうかもしれん。ま、ちがうか。