通勤電車で読む『フィールドワークと映像実践』。エスノメソドロジーの会議研究?がチラッと出ている。権力作用とか抵抗とか言わないところが今ふう。

フィールドワークと映像実践:研究のためのビデオ撮影入門 (知のアート・シリーズ)

フィールドワークと映像実践:研究のためのビデオ撮影入門 (知のアート・シリーズ)

ブックレット、というかんじの本で、大学でテキストで使えるようなつくりになってる。人類学者の人とエスノメソドロジーの人が著者で、それぞれの領域に引き寄せて自身の研究を参照しつつ映像を使ったフィールドワークの進め方を具体的に紹介している。あと、調査倫理のはなしとか(撮影調査依頼の書式例や、肖像権著作権にかんして被調査者と交わしておく「覚書」の書式例とか)、具体的な撮影技術のはなしとか。ようするに、映像を使ったフィールド調査の授業で副読本に盛り込んでおくとよさげな内容。
で、まぁそういう教科書なのであくまでチラッとさわりの部分だけ紹介ということなのだろうけれど、著者のエスノメソドロジーの人の会議場面の研究がチラッと紹介されている。つまり、じっさいに会議をやっている場面を撮影した映像を分析(という言葉をきちんと定義して使っておられますね)して、そこでじっさいに何が起きているか、を明らかにしようという研究。で、まぁあくまでチラッとさわりの部分だけということで、ここで紹介されているのは、「配布資料」が会議の相互行為の中でどのように用いられているか、というところで、会議のさいしょのところの資料を配るところの1分程度の会話と映像(写真)である。で、「配布資料」を何に使いますかというと、そりゃ配布する資料でしょ、何か書いてあって読むんでしょ、と思えばさにあらずですよと。
ここで登場している会議は、「起業チャレンジなんとか」というコンテストのいちぶで、企画を持ち込んで一次審査を通った応募者グループが、(最終審査には加わらないけれど主催者側の)コンサルといっしょに企画をブラッシュアップする「ブラッシュアップミーティング」、という会議、の何回目かであるらしい。で、どうやらこの応募グループさんは、どうやら前回コンサルに出されたアドバイスを基にした宿題をやってきてなくて、「考えてはきたんですけど・・・正直なところ悩んでいて・・・いや悩んではいないですけど・・・」とかごちゃごちゃ弁解しつつ、「もう一度信念に立ち返って、最初に出した案をベースに・・・」とかなんとかいって、どうやらそういう感じの自分たちで考えたものをまた持ってきたようなのである。そういうちょっと気まずい場面。
で、ファインディングスとしては、この場面で応募グループの人が、言い訳のことばをチラチラとしゃべりながら、それと連動して「配布資料」をチラチラと出しかけたり引っ込めたりすることによって、会議の最初の場面のフレームを「前回のおさらい」から「弁解」にうまくコントロールしてるよ、そして「弁解」をまんまとひととおり言い終えてからようやく「配布資料」を配ることによって、会議の場面を「(コンサルの宿題に答えたものでない)代替案を議論する場面」にうまく着地してるよ、みたいなことかと思う。このばあい、「配布資料」は、紙でできたあのサイズの物体であるという特性によって、そういうチラチラ出したり引っ込めたりするのに都合がいい(アフォーダンス、という言葉は使わないのがイマドキなのでしょうかね)のでそのように使われている(リソース、って言葉はありかと思うのだけれど)のですよ、と。同時に、この相互行為を観察することによって、そんなにめんどくさい手続きをいちいちふみたくなる程度には、「課題をやってこなかったことを「弁解すること」を「しにくい」社会関係」が参与者間で理解されていることも示されている、よ、と。
まぁ、「弁解することを「しにくい」社会関係」、という言い方はまわりっくどくて、15年前なら「権力関係」だとか「権力作用」だとか言っていたかもしれないし、配布資料をチラチラさせながら状況をコントロールしているようすだって、15年前なら「弱者の側による抵抗の戦略」みたいな言い方になってたかもしれないしそうすると配布資料は「弱者の抵抗の拠点となる可能性を帯びる」みたいな大げさなはなしになってたかもしれないし、まぁもちろん言い回しの装いだけ変えましたというわけではないんだろうとは思うけれど。また、「これじゃ「弁解」の分析であってわざわざ「会議」の分析というのであればもっと「会議」らしい場面を分析せねば」というような突っ込みも15年前ふうのたぶんFAQであって、イマドキふうではないし、たぶんここでは研究の一端、ほんのさわりだけの紹介なので本編はもっと「ちゃんと会議研究」なのだと思う(「ちゃんと会議研究」というのはつまり、「会議研究ですよ〜」と宣伝したら本を買ってくれてお金を払ってくれる人がそれなりに納得するような、「会議」という言葉の規範的理解に沿った内容の研究、というぐらいの意味なのか。つまり、「会議ってのは、紙をチラチラさせて弁解してりゃ済むってようなモンじゃないぞ!」と全国のビジネスパーソンに怒られないようなもの、というぐらいの意味だと思う。そのぐらいは言ってもばちは当たらないんじゃないかなあと思うし、状況論の人たちがコンサルで商売してるらしいというのはきっとそういう事だろうと思う)。
まぁしかし、いずれにせよ、会議研究おもしろそうなので、本編がはやく出てこないかしらと思っているところ。