通勤電車で読む『小説 − いかに読み、いかに書くか』。

小説―いかに読み、いかに書くか (講談社現代新書 (684))

小説―いかに読み、いかに書くか (講談社現代新書 (684))

通勤電車用に、積読になってた新書をかばんに入れて出勤。以前ひょんなことで後藤明生まとめ買いということをして、2冊ぐらい?読んだまま積読になってた。小説より小説論を読んで読んだ気になるというのはつまらない無教養ということなのだけれど、初期作品を読んでストップしていた積読の中から批評的な新書本をピックアップしたらおもしろく読めてしまうわけである。でもって、ここで取り上げられている田山花袋宇野浩二横光利一あたりが面白そうな気がしてくる(けどまぁたぶん読まない(読み返さない)けど)。うーん、しかし、この本の中でも「乱読時代」という言葉がでてきて、つまり学生の頃とかに何でもがつがつ読むみたいな頃があって、まぁ自分にも小規模にあったような気がするけれど、やはりそういうのは学生時代とかじゃないとエネルギー出ないなあ、という枯れた感慨をもつ。田山花袋横光利一、なんか昔よくわかんないまま読んだなあ、みたいな。宇野浩二『蔵の中』にかんしては、「蔵の中」というタイトルを聞くと松原留美子を思い出す世代で、いま検索して初めて、映画の『蔵の中』は横溝正史原作だったと知ったようなもので、なあんだ、というかんじ。じゃあ読んでみようかな。