通勤電車で読む『雑談の構造分析』。言語学・言語教育学系の会話分析。雑談とは残余範疇ではないのか?雑談の体系的理解をめざすのは不条理ではないのか?

雑談の構造分析

雑談の構造分析

くろしお出版から出ている言語学系の会話分析の本。著者の人は日本語教育学のひとで、日本語教育をするうえで「雑談」のやりかたの教育のニーズがあると。たしかに、日本語学習者の人たちが教科書で学ぶのは多くが目的の明確な会話であって、だけど日常生活の中でなんとなしの「雑談」をやるためには教科書風の会話ではうまくいかないと。まぁそれはそんなもんかなと思う。でも、ふつうに考えて雑談というのは、何か特定のものというよりは、ある種のレッテルっていうか残余範疇みたいなもんで、その状況の中で「別に目的ないよね」という位置づけになったものを雑談とレッテル貼りするわけで、つまり同じ内容でも「実は目的性があるよね」となったら雑談と呼ばず「やっぱり目的性ないよね」となったら雑談と呼ぶ、のではないのか。だとすると、いざ雑談というものを体系的に把握するためには、それがここからここまでという範囲がきまってないとおかしいわけで、だけど残余範疇をどうやって体系的に理解しようというのか。と思っているところで、著者の人は雑談の会話を採取して、それを猛然と分類しはじめるわけである。会話の連鎖がどのような発話から始まるかを見つつ、たとえば「1.会話参加者に関することを話題にする連鎖組織」「1.1質問から始まる連鎖組織」「1.1.1 事態・属性系の連鎖組織」「1.1.1(1) 3番目の発話が理解である連鎖組織」というように。で、その「連鎖1」というのが、

01A:情報要求
02B:情報提供
03A:理解

と定式化されて、さらに実際の会話たちから抽出されたパターンを加味して、

01A:情報要求「え」「今日/明日/昨日」「誰と/どうやって/どこで/なにで/何年目」「V−るの?/V−たの?/V−てました?」「どうでした?/[形容詞−た]?」
02B:情報提供「うん/[名詞]/[形容詞−た]よ」
03A:理解「なるほど/ほんとに/うん/あー/そうか/[2Bの繰り返し]」

というふうに定式化される。以下こういうのが30個定式化されるわけで、これが雑談を構成する連鎖のパターンであると。
で、雑談はこういう限られたパターンの連鎖組織からなるので、日本語教育の場ではこれを手がかりに教えて練習させればいい、と。
うーん、たしかにそういう学習方法はありうるかも、と思いつつ、しかし、やはりほんまか?と思うし、雑談とはすなわち会話のことではないのか、だとすればこういうふうな努力をいくら重ねてもパターンを挙げつくすことはできないのじゃないか、とも思うし、また、こういうスキットをたくさん練習した日本語学習者のひとが、実際の雑談の場になったときにこのパターンに具体的な言葉を代入することで発話を産出できるのだろうか?と疑問にもなる。
まぁたぶんそのへんが、言語学の人たちによる会話分析と自分との距離なんじゃないかなと。