通勤電車で読む『アルファ碁は何を考えていたのか?』。タイトルとは違って、アルファ碁の棋譜を3人のプロ棋士が三者三様に検討したもの。(囲碁AIは「何も考えずに打つ」強さ、だと思うのだけれど)

囲碁のクイズみたいなもので「次の一手」というのがあって、ある局面の盤面を示して「次は黒番です、黒の次の一手はどこでしょう」みたいなのを考える、というのがある。まぁ、もちろん囲碁はゲームなので、正解がひとつというわけではなくて、棋士それぞれの考え方なり棋風なりがあるわけだけれど、しかし、いい手と悪い手がある、というのはまちがいないし、その手のよしあしについて説明することもできる、というのもまちがいない。で、この本は、アルファ碁の棋譜の中から特徴的な局面を、まぁいわば「次の一手」みたいなかたちで出題して、解説する、というもの。出題者が小松九段、回答者が河野九段、一力八段。
でまぁ、おはなしはちょっとわき道にそれまして、よくいわれることで(武宮九段あたりがよく言うイメージ)、囲碁というのは「考えて打つんじゃなくて、感覚で打つ」というの。素人が棋士に質問する「いったい何手ぐらい読んでるんですか」に対する、「全部読んでるわけではなくて、直感的に「見えた」手について、読んで確認するかんじ」、みたいな答えがあって、あるいは、「強い人というのは、いい手を思いつく人というよりも、悪い手を思いつかない人なんですよ」みたいな言い方もあったと思う。あるいはもっとたんじゅんに、棋士の人が頻繁に使う言い回しとして「第一感はこの手」とか「ぱっと浮かぶのはこの手」とかいうのがあって、まぁようするに「考えるまえに感覚で」というのはあるようである。
で、自分の理解した範囲では、いまの強くなった囲碁AIというのは、「画像処理」みたいなことを基本にしていて、つまり盤面からいろいろな石の配置の形のパターンを抽出してそれを勝敗の観点から点数化してデータベースにしていて、それである局面でなるべく勝ちに近づきやすくなる手を選ぶ、みたいなことかと思っている。もちろん、細かい「読み」(もし自分がこう打って、もし相手がこう打って、というぐあいに一手一手シミュレーションする)もやるけれど、それ以前に、「全部読んでるわけではなくて、直感的に「見えた」手について、読んで確認するかんじ」で打ってるのだと思う。(別の言い方をすると、「読み」というのは、自分が打って相手が打って自分が打って・・・というふうに、時間の経過(?)を含んでいるけれど、囲碁AIは、ある瞬間の盤面を「画像」として処理するので、そこには時間というものが存在しなくて、いってみればそのつど「次の一手」をやっているようなもの、だと・・・まぁ、正確にはそういうやりかたに、一手一手の「読み」を組み合わせてるんだと思うけれど)
で、おはなしはもとにもどる。この本のタイトルは『アルファ碁は何を考えていたのか?』となっているけれど、アルファ碁は何も考えてない、のだと思う。じっさい、この本も、アルファ碁が何を考えていたのか(たとえば、アルファ碁の内部データから、「読み」のログを開示する、みたいなこと?)を書いてるわけではなくて、アルファ碁の棋譜をプロ棋士が「次の一手」的に検討したこと、つまり、「アルファ碁の棋譜についてプロ棋士が何を考えたのか」が書いてある。でも、それはアルファ碁が考えたことではないし、というか、じつはそもそも棋士だって「考えるまえに感覚で」「ぱっと浮かぶのはこの手」みたいなことをしているわけで、その部分の「仕組み」についてはじつは誰も語っていないともいえる。アルファ碁が衝撃的だったのは、まさにその、「考える前の感覚」みたいなものをコンピューターが再現してしまったこと、しかも結果的に現在のプロ棋士の多くが舌を巻いてしまうぐらいのレベルで実現してしまったこと、なのだと思う(それにくらべれば、将棋AIは、一手一手の「読み」の試行錯誤を高速で処理することによる強さなのだと思うから、衝撃はないとおもう)。
それはそれとして、この本は、アルファ碁云々を抜きにすると、3人のトップ棋士が「次の一手」をそれぞれどのように考えて説明するか、もちろん3人の説明が重なる部分が大半で、ときどき三者三様の色合いがでてくる、そのへんがおもしろいところ。