で、これ裁判の話なんだけど、ようするに話し合いをきちんとしましょうということなんで、会議のやりかたの本としても読めるし、グループワークのやり方の本としても読めなくはない。
たとえば、さいしょに、評議デザインのされてない評議の例として、実験で大学生にディスカッションをさせると、次のような特徴が見られたと:
a 根拠を提示せずに主張を行う
b 議論の中で出された主張に対し、検討を行わずすぐに合意に到達する
c ある論点に関する議論についての結論を保留にし、次の論点へと進む
d 最終的な合意がそれまでの議論と結びつかない
あるいは、別の実験で、特にデザインしない評議を行ったグループのメンバーの事後アンケートにいわく:
「ずれを感じるときはあったが、とにかく崩壊しないように感じよくふるまおうと努めた」
うわー、あるある、というかんじ。そういうかんじでわあわあと言い合いをして、誰もがなんとなく雰囲気を壊さないようにしつつ結果なんとなく声のでかいやつがわあっと決めちゃうみたいな。
それじゃこまるということで、付箋で「見える化」しつつ進めるよ、というすじがきは、会議術の本と同じノリである。で、まぁ、裁判というのはふつうの会議一般の水準と比べると、要求される厳密性というか、議論の整合性の水準が格段に緻密なので、論点のかみ合わせに関して「チャート」を作って示す「チャート法」というのも提案されたけれどこれは実務からするといまいちだったみたい、とか。
試行錯誤もふくめ、おもしろい。
また、そもそも裁判って何よ、みたいなはなしにもつながってくるわけで、それはここで提案された「評議デザイン」について法学的な視点から(むつかしいけどなんとなくわかる)検討してる。で、何と最後の章のオチが「判断の共同主観的存在構造」、参考文献が廣松であると。それはそれで…