『ヒカリ文集』読んだ。ようやく読めた松浦理英子の最近作はタイトル通り松浦理英子しつつ2022年型だった。

松浦理英子の新作が出たというのをTwitterで知ってたしかすぐに買ったもののまだ読む感じではなくて、つんどくになっていたのだけれど、ようやく読む感じになって、読んだのでこれがこの夏の成果。
タイトルが『ヒカリ文集』という。文集、というのは、みんなが文章を寄せたものなわけだ。ヒカリ、というのは人の名前であると。そうすると、そのヒカリという人は「みんな」の中の一人でしょうか、というと、たぶんそうではないだろうということになる。みんなで書いた文集のタイトルにそのうちの一人の名前がつけられるというのはあまり考えられなくて、「みんな」に対して特別な位置にいる人だからタイトルにもなっている、という構図が見えてくるだろうと。そうすると、この文集は、ヒカリという人を不在の中心にしつつ「みんな」がそれぞれの視点からそれぞれの語り方で語っているもの、なのだろう、ということになって、まぁおおよそ最初の章を読んだあたりでおおよそそういう本作の仕掛けが明かされる。そしてこれは松浦理英子の作品であり、だからヒカリというのはファム・ファタルの名前ということになる。学生演劇から出発した、もう解散してずいぶんたつある劇団の人々が「みんな」ということになり、本作の中で部外者の聞き役みたいな位置の大学生にしてみればヒカリという人は「サークル・クラッシャーとは違うんですか?」ということになる。『ナチュラル・ウーマン』の、映画でいうと緒川たまきとかだと、純度の高い硬質の対関係の地獄を現出させてたような気がするし、いまふうにいうとサークルクラッシャー的な気質のファム・ファタルということになってたかなあと思うのだけれど、本作のヒカリという女子は、そういうタイプではないのだった。難儀は難儀なのだろうなと思いつつ、しかし、劇団の話ということで、『カルメン』であるとか『マノン・レスコー』とかのファム・ファタル像に対する距離の取り方も示していて、理性的で抑制されていて穏やかで技巧的で、そしてそのこと自体がすなわち狂っていてあるいは決定的な欠落と孤独を抱えていて、それはやはり、2022年型ということなのかなと。