『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』再見。押井守はこれでよかったんではないか。

先日(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2022/10/30/191539)にひきつづき、『うる星やつら』の劇場版を再見。まぁこれはやはり押井守してて、相当よかった。押井守という名前を、『うる星やつら』で知ったわけだし、特に本作で知ったわけなので、もう押井守はこれでよかったんではないかとさえ思う。とくにネタが割れるまでの1時間ほどの緊迫感は(まぁ、タイトルふくめおよそのオチはさいしょからおよそわかっていたにせよ)よかったわけで(まぁ種明かしをしてからのクライマックスの30分ほどは、まぁ説明的であったり散漫であったり冗長であったりの印象がなくもないにせよ)、大昔に見て印象に残っていたし、再見してやはりよかった。まぁクライマックスが説明的になるというのは、ストーリーで山場を構成するということをしていないということで、そういう言い方をしてしまうとちょっといかがなものかと思えなくもないけれど、まぁだから押井守ってそういうとこあるよね、という気もしてこなくもないのだけれど、そういうとこあっての押井守だろうね、というあたりにまぁ落ち着くのだろう。まぁ、本作に関しては、『うる星やつら』という枠組みとかキャラクターたちとかの牽引力で、楽しく見れるし、まぁテレビシリーズというのがそもそも毎週あいもかわらず繰り返されるドタバタの終わりのない反復なわけで、言ってみればそれを批評的に自覚的に映画作品にした、というふうにも(まぁ誰が見ても)見えるし、それはやはり面白い。