通勤電車で読む『松江日乗 古本屋差し入れ日記』。

例によってTwitterのタイムラインから。本屋さん本ってことで。流れ流れて松江でちいさな古本屋さんをやっている人の、日記。帯にいわく

本はさっぱり売れないけれど、
お客さんが毎日のように差し入れを持ってやってくる。

店主の日記に綴られた、松江の小さな古本屋冬營舎の物語。

もうなんていうかこのキャッチがこの本の魅力の根本のすべてで、あとはもうまったく日記体の簡潔な文章で、日々のことがらと店に立ち寄る人たちと、あとその人たちが持ってきてくる差し入れの記録が淡々と書いてあるだけでとてもいい。
古本屋さんとははたしてなんだろうか?
読んでいる限り、たしかに帯に書いてある通り本はさっぱり売れていないように読めるし、でもお客さんたちがなにもなくても立ち寄ってはいろいろと差し入れてくれるし、そのひとたちは詩や小説を書いたり写真を撮ったり、研究をしたり、読書会をやったり学習塾をやりながら現代思想の勉強会をやったり、しゃれた店をやったり創作をやったり、なんかそういうひとたちだったりするのだからそれはやはりここがいい感じの古本屋さんだから集まってきたのだろうし。まぁ、ローカルな地名や店名がいろいろ出てきて個人的にはそこで8割がたぐっとくるわけだけれど、まぁそういう地方の、県庁所在地とはいえ自転車でたいていの用事がすんでしまうぐらいの狭い界隈であれば、いい感じの古本屋さんが文化的なコミュニティのハブのひとつになるというのはありえなくもないんだろうなあと想像する。おおかた趣味のいい差し入れの品々を見ていると、文化資本とか社会関係資本とかいうことばが思い浮かばなくはない。たぶん私はじっさいに店を覗いてもすぐにげだしちゃうだろうなあというかんじはしなくはない。でもそれはそれとして、やはり


というのが素直なところで、やはりちょっと胸を熱くして読む本ということになる。