でまぁ、さしあたり検索したら、「穴掘って埋める」は不正確、というのが出てきたね:
toyokeizai.net
…実際には、ケインズは、著作の中で、不況で失業者が生じている時に、自由放任を信条とする政治家たちに対して、何もしないでいるよりはお札を詰めた壺を廃坑に埋めるとかした方がまだましだという皮肉を言ったのでした。しかも、それに続けて、「もちろん、住宅やそれに類するものを建てる方がいっそう賢明であろう。しかし、もしそうすることに政治的、実際的困難があるとすれば、上述のことはなにもしないよりはまさっているであろう」と書いています。住宅建設など、より賢明な公共投資がやりたいならば、もちろん、その方がいいとケインズははっきりと言っているわけです(以下、J・M・ケインズ『雇用・利子および貨幣の一般理論』(東洋経済新報社)を参照)。
ところが、世の中では、この表現のニュアンスを理解できないどころか、ケインズが書いたものすら読まずに、「ケインズのように、穴を掘って埋めればいいなどというものではない」などといった言い回しで、財政政策を批判する人が後を絶ちません。
ふむ。なんだかよけいわからないというか、「穴掘って埋めるだけでいい」なら理屈としてわかりやすいけれど、「お札を詰めた壺を廃坑に埋めるとかした方がまだましだ」というのは、なにしろその「お札を詰めた壺」が何の比喩かわからないっていうか、「廃坑に埋め」てしまったらそのお金が市場から消えてしまうので乗数効果も効かなくなってしまうのでは、とか、よけいいみがわからなくなってしまわなくはない。
ともあれ、ひさびさに読んでみようと、じつは学生時代に買っていちおう読んで以来ずっと研究室の本棚に並べて幾星霜の『翔んでるケインズ』を読み直してみたわけである。奥付を見ると1983年の本で、自分が買ったのも学生かたぶん正確には院生のころに古本屋で買った(ケインズ、フリードマン、サミュエルソン、ガルブレイスの4冊を買った)んだと記憶しているけれど、まぁ、ノリとしては日本版・経済学者版のフォー・ビギナーズみたいなかんじで、それっぽいイラスト入りでケインズの足跡と理論とその影響をわかりやすく紹介してる。でまぁ、かんじんの「穴掘って埋める」のくだりは出てこなかったのでよくわからなかったけれど、しょうじきいちばんの印象は、これが1983年の本だということだった。イギリスはサッチャー時代。アメリカはレーガン。で、日本はバブル景気よりは手前、でもそれなりの上昇感はあったかんじ。まさかこの後、バブル崩壊とデフレの陰鬱な未来がくることになるとは思ってなかったよなあ。