通勤電車で読んでた『翔んでるケインズ』。1983年の「イラストで読むケインズ」はとにかく1983年感。

ふとケインズのことが気になって…というかようするに、大阪万博についてTwitterなどでいろんなひとがわいわいいってるのを見つつ、ふと、「穴掘って埋める」というのを思い出したわけである。穴掘って埋めるだけで効果があるなら、大阪万博だってまさに穴掘って埋めるというか地盤が軟弱で文字通り穴掘って埋めてるんだろうし建造物にせよなんにせよ穴掘って埋めようとしてるわけでまことにけっこうとならないのか、と考えてみる。でまぁもちろん、公共事業をやっても別のところでケチって支出を減らそうとしてたりしたら穴掘って埋める効果が帳消しなのかな、と思ってみたり、まぁ公共事業をやっても身内優先で金が回るようなら文句は出るかもなとか、その身内がケチで乗数効果がさっぱり効いてこなければやっぱりいまいちなのかなとか、まぁもちろんどうせ公共事業をやるならほんとに穴掘って埋めるよりはもっと世の人の喜ぶことをやればいいわけだけれど、まぁすくなくとも、穴掘って埋めるのをやろうとしてるのを無駄だと言って中止すべきという以外に話の持って行き方があるかもしれないよ、だって穴掘って埋めるのは無駄だから中止すべきってだけなら「福祉は無駄だからカットしろ」「大学は無駄だからカットしろ」みたいなことと変わらんじゃないか、とか、つらつら考え、ともあれ、「穴掘って埋める」というのが気になったわけである。
でまぁ、さしあたり検索したら、「穴掘って埋める」は不正確、というのが出てきたね:
toyokeizai.net

…実際には、ケインズは、著作の中で、不況で失業者が生じている時に、自由放任を信条とする政治家たちに対して、何もしないでいるよりはお札を詰めた壺を廃坑に埋めるとかした方がまだましだという皮肉を言ったのでした。しかも、それに続けて、「もちろん、住宅やそれに類するものを建てる方がいっそう賢明であろう。しかし、もしそうすることに政治的、実際的困難があるとすれば、上述のことはなにもしないよりはまさっているであろう」と書いています。住宅建設など、より賢明な公共投資がやりたいならば、もちろん、その方がいいとケインズははっきりと言っているわけです(以下、J・M・ケインズ雇用・利子および貨幣の一般理論』(東洋経済新報社)を参照)。
 
ところが、世の中では、この表現のニュアンスを理解できないどころか、ケインズが書いたものすら読まずに、「ケインズのように、穴を掘って埋めればいいなどというものではない」などといった言い回しで、財政政策を批判する人が後を絶ちません。

ふむ。なんだかよけいわからないというか、「穴掘って埋めるだけでいい」なら理屈としてわかりやすいけれど、「お札を詰めた壺を廃坑に埋めるとかした方がまだましだ」というのは、なにしろその「お札を詰めた壺」が何の比喩かわからないっていうか、「廃坑に埋め」てしまったらそのお金が市場から消えてしまうので乗数効果も効かなくなってしまうのでは、とか、よけいいみがわからなくなってしまわなくはない。
ともあれ、ひさびさに読んでみようと、じつは学生時代に買っていちおう読んで以来ずっと研究室の本棚に並べて幾星霜の『翔んでるケインズ』を読み直してみたわけである。奥付を見ると1983年の本で、自分が買ったのも学生かたぶん正確には院生のころに古本屋で買った(ケインズフリードマンサミュエルソンガルブレイスの4冊を買った)んだと記憶しているけれど、まぁ、ノリとしては日本版・経済学者版のフォー・ビギナーズみたいなかんじで、それっぽいイラスト入りでケインズの足跡と理論とその影響をわかりやすく紹介してる。でまぁ、かんじんの「穴掘って埋める」のくだりは出てこなかったのでよくわからなかったけれど、しょうじきいちばんの印象は、これが1983年の本だということだった。イギリスはサッチャー時代。アメリカはレーガン。で、日本はバブル景気よりは手前、でもそれなりの上昇感はあったかんじ。まさかこの後、バブル崩壊とデフレの陰鬱な未来がくることになるとは思ってなかったよなあ。