通勤電車で読む『公務員の働き方デザイン』。いい本。とくに最初の2章ぐらい。学生さんにも勧めたい。

たぶんTwitterのタイムラインで褒めてあった本。なるほどよかった。学生さんにも勧めたい本。公務員に限らないけれど、たしかに公務員に特徴的な「人事異動でぜんぜんちがう職種になる」みたいなこととか「公務員だから○○できない」「公務員のくせにという目で見られるプレッシャー」とか、「全体の奉仕者としての仕事の在り方」とか、そういうのも含まれる。でもまぁ、そういうのも広い意味では組織で働けば多かれ少なかれあるとすれば、だれが読んでもええっちゃええ。で、やはり最初の2つの章、仕事術的なおはなしと、職場のチームの人間関係づくりのおはなしはとくによくて学生さんにも勧めたい。べつにすごく目からうろこの話が書いてあるというより、ふつうにわかっておくべきことがクリアに過不足なく書いてある感じ。有能な人が説明してるなってかんじ。
えーとたとえば2番目の項目で出てくる「想像力」のはなしなんかは、すごく肝だなあと思っている。仕事の場面をどれだけクリアにイメージできるかが重要、それによって精度のいい段取りが組める。これ、べつに公務員の話だけでも仕事の話だけでもなくて、たとえば卒論だって何だって、まずどれだけ対象を解像度高くクリアに描けるか、というのが重要。そのために解像度高く観察する練習をする等々。それができないと、あらかじめ場面をクリアにイメージしてしごとの段取りをするというのもできないしね。

通勤電車で『現代思想 特集 精神医療の最前線』ぱら見。

巻頭対談の斎藤環&東畑開人「セルフケア時代の精神医療と臨床心理」を興味深く読み、小泉論文はまぁこんな感じという感じで読み、あとはぱらぱらと。北中論文「絶望のデータ化」は、Google化された世界で精神疾患?のAI診断が予防的にされたらというようなネタ。山田論文「家族というゾンビ E.デュルケーム『自殺論』を再訪する」は、まぁ、デュルケームが「家族」を自殺からの歯止めと理解してたけどコロナ下で女性の自殺が増えたよということで、家族というのが女性にとって今どんなカテゴリーなのか、みたいなネタ(べつにそれでデュルケームがどうこうということもないような気もするし、著者のデュルケーム理解はちょっと平板だという気も)。

自分むけにCOVID-19関連について現時点でどう考えることにするかをまとめておく。(その13:5/17-)

緊急事態宣言がつづき、新規感染者数の増加が上げどまったけれど、実効再生産数もいまいち下がらないという現状。実効再生産数が下がってこないと、新規感染者が高い水準でつづくかぎり医療も圧迫されるし、市中にウイルスがふつうにいる状態(と言っていいのかわからんがすくなくとも主観的にはそんなかんじだ)も改善されない。

なにごとにつけそうなのだろうけれど、いろいろな状況や事態の推移の中で、そのときにクリティカルなものを見るポジションにある人がいるのだなあと思う。そういう人が情報発信してくれているとありがたい。コロナに関しては、自分が見始めた去年の春の段階に、画像診断医k先生がCT画像の「マリモ」を見たり、そこから出発して「エアロゾル感染」への注意と加湿や換気の重要性を提起されてたりしてたのとか。それでいうと、1年ぐらいたって変異株が出て、といったこのところの状況で、自分とかが知りたそうなことをTweetされてるのが、ずっとコロナ対応の発熱外来で患者さんを見てるsguardooooooooctor先生という方。変異株が出てきたとか、緊急事態下で感染者が減らないとか、なんかよくわからない現状で、現場で見たところから発信しておられるのが、湯加減的なものがわかってありがたくて、このところここに貼り付けることが多い。
で、ここ数日の話題として。


この表に簡易的に示されている、「人にうつす可能性がある」「発症する」「PCR陽性が出る」「うつさなくなる」あたりのタイミング感は、参考になる。えーと、たとえばある程度身近でいろいろ聞いていると、PCR陰性だったのが陽性になるってことはほんとにちょくちょく起こるというのは実感としてあるわけで、また、コロナ陽性になったあとに治って復帰というときに、退院とかの基準になってる「10日でうつさなくなる」というのがあまり知られてないわけで、そのへんを(まぁこの表自体はさしあたりたぶん経験則ということだけれど)わかりやすく見れるようにしてるというのがありがたい。
うん、この辺の湯加減とかね。自分の理解とも合ってる。変異株が広がってるかもぐらいの3-4月ぐらいに、そのへんのことも気になって調べてたりして(そのころ、スクリーニングで変異株だとPCR二回陰性で退院となってて、えースクリーニング対象だけ臨床的措置を変えるのってどうなの、と気持ち悪かった)、まぁ、うーむといってるうちに、ちょうどほどなく感染研が10日でOKと決めたってニュースが出たので、まぁそれならそれで、という、まぁそのぐらいの理解だったので、だいたいの湯加減ぐあいがあってると納得感がある。

5/30.
このところ新しい展開がなくて、緊急事態宣言は延長、新規感染者数はちょっとずつ減って、大学は完全オンラインだったのが演習型にかぎって柔軟に対面導入を可能とする、ぐらいの湯加減になり、気分的には安定している。緊急事態宣言下であるわりには感染者の減りがまだ小さいような気がするし、外を歩いていると、油断してる人たち(自分の行動範囲と時間帯からして中高生とかが多いのだが)が、屋外だからと安心してマスクを外して顔を近づけて喋って飲み食いしてる(先日、電車の中でそれをやってる中学生グループ?がいてしんどかった)。

少し前だと

5/7.
実効再生産数を東洋経済のサイトで見ると、
全国が0.99、東京1.04、大阪0.91、兵庫0.86、京都0.91、奈良0.92となってる。一時期きびしかった関西で、(いまも数自体は厳しいにせよ)抑えが効き始めているように見える。
他方で、東京の実効再生産数の変化が鈍いようにも見える。
・・・
もうひとつのサイト「新型コロナウイルス感染速報」ってほうで見ると、「10万対発生数」が東京32、大阪61.9、兵庫43.4、京都30.2、奈良35.3で、ああやや下がってきたなと思いつつ・・・

というかんじだったが、現時点だと、
実効再生産数を東洋経済のサイトで見ると、
全国が0.81、東京0.9、大阪0.68、兵庫0.71、京都0.65、奈良0.56となってる。関西は下がってきた感があるかね。
もうひとつのサイト「新型コロナウイルス感染速報」ってほうで見ると、「10万対発生数」が東京24.8、大阪19.1、兵庫13.1、京都12.4、奈良9.8で、これも一時期より下がってきた感はある。でも3/20には「いま東京の「10万対発生数」が「12.5」、大阪が「7.8」、兵庫が「6.6」、京都が「2.1」と出ている。」と書いてるから、まだ全然多いんだけどな。
全国の新規感染者数でいうと、週のうちの山が先々週は7000超、先週は5800弱、今週が4500人超、ぐらいだったので、減ってはきてるけどまだまだ多い。ちなみに「第3波」を押さえこみきれなくてすぐ「第4波」になった2月末だとだいたい1200ぐらい。
で、3月下旬に「第4波」の兆しが見えてきたころ(さっきも言及した3/20)にここにこんなことを書いてた:

3/20
いまの状態を、まぁおおまかに全国の数字で見た場合、仮に秋の時点に置き換えるとどのへんかというのを見てみる。
新規感染者数で言うと、週のうちの山が1500人前後、先週は1300前後、先々週は1200前後、ぐらいなので、
秋で言えば11月の1週目(1300ぐらい)から2週目(1700ぐらい)ぐらい、ちなみにその前の週は750、850ぐらいの見当だったので、ちょうどギアが入った感じはあったですな。
実効再生産数がいまいちおう1.07と出ていて、これだいたい10月最終週がそのぐらい。で、11月の1週目~2週目でぐっとあがって1.42ぐらいまで上がって、そこからいちど下り坂になって11/30に0.97になり、年末ぐらいまで1ぐらいでだらだらキープ、12月の最終週ぐらいに上がって大みそかに(ということは実体としてはその1週間まえつまりクリスマスぐらい?)1.18まで上がって、ちょっと下がってもっぺん上がって1/11に1.54、そこからは緊急事態宣言にはいって下がる、というかんじ。
というわけで、数字で見ると、11月の頭ぐらいのイメージかと思う。そのときは、いまにして思えば第2波の残り火がいつまでも消えないまま、からの、ぼちぼち再上昇して第3波のはじまりが見えてきて、「これから火だるまになるぞ」という予感はあったわけだけれど、
今はどうかというと、まぁおなじように第3波の火が(第2波のときより高いレベルで)いつまでも消えないまま、からの、再上昇のはじまりがもう見えてきている状態かと思う。
で、
11月と違うのは、
 ・これから冬に入る(寒くなって換気が難しくなり空気が乾燥する)タイミングと、これから春になるタイミングの違い(まえに https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2020/09/13/205206 貼り付けた、「冬のコロナが強い。感覚的には、0.1~0.2くらいRを押し上げているのでは?」というイメージ)。
 ・感染力の強い変異株への置換がすすんでいるみたい。
 ・ワクチンがかなり当てになりそう。ただし日本国内だと遅々として進まないみたい。
というところかな。よさげな面も心配な面もあるね。それはもちろんのことだ。

だいたいいい線行ってたなあと思いつつ、まぁ、当たってよろこんでる場合ではなかったというのもある。

このぐらいのタイミングで、感染対策について整理するTweet
パーテーションについては、むしろ換気にはマイナスにはたらく、というお話も出てきて、こんなかんじであると。「全部推測」といいつつ、こういう湯加減を発信していただけるのがありがたい。



6/3.
いまがどのぐらいかを、また考える。
ここの「その9」(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2021/01/21/104719)の2/15付のタイミングで、このようなことを書いている。

新規感染者数が減ってきているというおはなしとともに、実効再生産数が下げ止まってるというおはなしもあるわけだが、
久々に見てみたら確かにそういうふうにみえるなあ…
・・・
まぁ全国の数字を見るとして、今(2/13時点)が0.73だが、10日前の2/3時点で0.76、1/27時点で0.78ぐらいからグラフの形が水平に近くなってるように見えなくもない。
実効再生産数、というのは、基本的には人間の集合的な活動状態を反映してるわけなので、この「0.7台で安定する」というのが、現在の社会の活動状況、つまり、いまの(限定的な?)緊急事態宣言でコントロールされた社会の活動状況を反映している、ということだろうか。この数値がおおよそ期待通りなのか、あるいは期待したほどには下がってないのかはよくわからない。
テレビなんかを見ていると、緊急事態宣言解除の話題なんかもちらほら出ていて、ということはこのぐらいの活動状態を「下限」とする、というふうにも解釈できるけれど、他方で、「やっぱりウィズコロナは非現実的で、ゼロコロナが経済にとってもやはり最適解だ」という意見も目にするようになり、それは自分的にはそっちのほうが納得いくんだけどな。
・・・
なお、↑上のところで、実効再生産数が基本的には人間の集合的な活動状態を反映しているわけで、と書いたけれど、それはつまり、ウィルスそのものの感染力が変わらないものとして、といういみで、そうすると、感染力の強い変異株の感染者が市中でぽろぽろ見つかっているというのは、事態に影響を及ぼす別の要素になるかもですね。

で、
けっきょくそのあとしばらくで実効再生産数は再上昇の気配を見せてだんだんそれを指摘する声が出てきたぐらいのころ合いを見計らって、2/27に、れいによって諮問委員会の「強い懸念」…というのはつまり反対…を押し切って、「首都圏を除き緊急事態宣言月末解除」となる。
というのが、「第三波」末、2月ぐらいの状況のおさらいだが、それでは現状はどうでしょうか。
全国の新規感染者、グラフを見てると先週のピークが4500ぐらいで今週はたぶん3000台かなあというふうに見える。この数字は、だいたい1月末~2月頭の数字とおなじぐらい。関西、というので見ても、だいたい似たような2月頭ぐらいのイメージ。実効再生産数でいうと、6/1時点で全国が0.79なので、これも2月の頭ぐらいの水準ですな。で、いま緊急事態宣言が延長になっていて、6/20あたりにひとつの区切りが予告されてる。季節的には前回の第三波は冬の厳しい時だった。今回は梅雨どきなのは好条件だけれど、変異株が次々と出てきてるのが悪条件。ワクチンの接種率は全体に影響を与えるにはほど遠い。まぁそういう状況だと、いちおう現状を再確認しておく。

6/12.
予想されたように6/20あたりに一区切りというはなしが出ている。そしてこれも予想されたように数値は下げ止まりあるいは今日あたり「再上昇」の気配を察知する声が出てきた。


まぁな。さすがにこう繰り返すとだいたい予想はできるようになってきたな。しかしこれは何を予想しているのか? なぜ飽きずに何度も予想が当たるのか?

通勤電車で読む『モテないけど生きてます』。これを当事者研究と呼ぶことの是非と残酷さ?

「ぼくらの非モテ研究会」と称する、まぁ非モテの人たちが語り合う当事者グループがあるというのである。それで、その活動の紹介と、そこでどんなことが行われて語られているかというのが本になったよというのがこの本であると。それで、この会は非モテの人たちが語り合う当事者グループだとして、でまぁ、目的としてモテるようになりたいという目的があるわけでは(当然)ない。で、たぶん、解放されましょうという目的が積極的にあるわけでもない。でまぁ、ただ集まって、いろいろ語り合うよと。もちろん結果的に何かから(例えば捉われからとか)解放される人は、いるだろうし、まぁいるみたい。なので、それはそれでいいじゃん、そうですねというはなしである。
以下は蛇足。
この本に関しては、これはサブタイトルにも「当事者研究」という言葉を使っているし、まぁ、「研究」ということばがちょくちょく出てくる。じゃ、これは「研究」なのか?というか、「研究」として評価したときにこれはどうなのか?というふうに言いたくならないか。「当事者研究」なんだから、当事者が自分で語りだした言葉を真正なものとして評価すべしという理屈がゼロでないことはわかる。いかに客観科学的には陳腐で稚拙なように見えても、それが当事者の語りなんだから定義上それが真正である、という理屈はありうるだろう。でもそういう評価のされかたは当人的にはうれしいのか?とはやはり思う。これはこの本がどうこうということじゃなくて、「当事者研究」と称する「研究」はどれも同じ理屈を通過することになると思う。
そして言わずもがなの蛇足をもうひとつ。
この本を、たんなる作文集として出すのではなく、「当事者研究」として出すことに、「研究」のための意義とはべつに、「当事者」のための意義というのがあってしまったりしないか、ということが気になり、しかしそうすると、この本を「研究」としていいとかわるいとか評価することが、「当事者」にとって実存的な意味を持ってしまうんじゃないかという懸念を持つ。そういう出し方をしてよかったんだろうか?

通勤電車で読む『マイパブリックとグランドレベル』。まぁどんどん実践してるおもろい人の本ということで。

著者の人は、建築とか?の事務所を夫婦でやってる(やってた?)人で、なんやかんやで思いついて、勝手に屋台みたいなのをやってその辺の人にコーヒーをふるまったりしたい、と思いついて実行する。で、「マイパブリック」と称してそれが富の再分配であると。まぁ、そのへんについてはちょっとそれはちゃうやろと。著者の人は、経済的に豊かな層から貧しい層に国家などが税などによってやる富の再分配を、かわいそうな人への施しであるとして、じぶんがやっているのはそうではないというてじぶんのやってることを従来のパブリックとは違う新しいいけてる「マイパブリック」と称してるみたいなのだけれど、まぁ、パブリックっていちおうそれなりに歴史的蓄積も意味合いもあることばなので、そんなに簡単に片づけられる気がしないし、まぁそういうあれでいくと著者の人のふるまいの活動は、まぁふつうにいって「金持ちの道楽」というのであって、そこに公共概念の未来を託すわけにはたぶんいかないんじゃないかと思う。著者の人がかんたんに片づけてしまっている「公民館」などというのは、やはりそれはすてたものではないんじゃないかなーと思う。でもまぁそれはそれ。著者の人は、思いついたことをどんどん実行するわけで、まぁそれはたしかに、まちに面白いシーンを産み出す突破力があるようにみえる。かってに屋台をつくって勝手にその辺の人にただでコーヒーをふるまっちゃって、なんか何の変哲もなかった空間をにぎわわせてしまう、人と人とがかかわる場がふっとできてしまう、などというのは、やはりおもしろいわけである。

『一度きりの大泉の話』読んで『文藝別冊 萩尾望都』もついでに。

一度きりの大泉の話

一度きりの大泉の話

自分は萩尾望都はほとんど通ってきてないし、竹宮惠子はまったく通ってきてなくて、たぶんいわゆる「24年組」に微妙にまにあってなかったのじゃないかと思う。高校の頃?に、姉が買っていた『プチフラワー』『ぶーけ』『LaLa』を読んで少女マンガばかり読むようになってたので、いろいろと目にはしていたと思うけれど、その雑誌の中では姉は『プチフラワー』をちょっと上に捉えていた感じがあって、姉の本棚には萩尾望都が並んだりしてた。『一度きりの大泉の話』を読んだら、そのあたりで見ていた名前がいろいろ登場しつつの、けっきょくなんかいろいろうずまくかんじで人間関係が途絶えてしまって今に至っても二度と戻らないというのが、萩尾望都じしんの口から一度きり語られる。うーんと思って、『文藝別冊 萩尾望都』を見てみたり。まぁしかしあれです、これ登場人物が天才と天才だからあれだけど、こんなかんじの人間関係のこじれとか途絶とかは世の中のどこにでもおこっているもんだろう。そのかぎりで、この本を読んだ人は(少女漫画ファンでなくても)なにかしら心当たって身につまされるかんじになるだろう。まぁそれでも、この本の中に登場する人はそれぞれ「名前のある人」で、それぞれあれやこれやをくぐりぬけて生き残った人だというところが味噌で、萩尾望都だって竹宮惠子だって、マンガをやめてしまったら世界の損失です!と言われるひとたちであって生き残った人たちであるわけで、まぁだから、生き残ったんだからいいじゃないですか、と言いたくはなる。

備忘。きのうまた歯が欠けた。

きのうまた歯が欠けたので備忘として。奥歯のところ。またしても欠けかたがびみょうなのと、とくに今のところ痛くもないので、このご時世ということも含め、歯医者に行くかはびみょうだなあ…。