『ストロベリー・ショートケイクス』見た。そりゃ漫画のほうがよかったよ。ついでに『リビドー・ガールズ』。

ストロベリーショートケイクス [DVD]

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や、まぁ、よかったけれど。まぁ、原作ものの映画ってのは、映画と原作はちがうのが当然なので、原作に思い入れがあれば映画のほうに点が辛くなるのは当然なのだけれど、でも、そういう以前の問題として、漫画のほうがよかった。まぁ、映画のほうもよかったけれど。でもねえ魚喃が漫画という表現手段において持っている能力と、矢崎って人が映画という表現手段において持っている能力とではやっぱしちがうでしょうと思う。魚喃の作品を読んで、これを見たら、「そこはそうではないでしょう」とだめだしをしたくなるのだけれど、そういうのは心が狭いんでしょうかねえ。たとえば、少女漫画というのが作り上げてきた心内語の表現を、魚喃は使っているわけだし、そこはやはり素直に映画では画面の外側でナレーションをするってのが本線ではないかと思うのだけれど、本作では、みんなが律儀に声に出して独り言を言うってかんじで、そのへんはどうもなんだかなあ、と思います。もちろん、全部律儀にナレーションでやったらそれはそれで単調で芸がないと思うけれど、しかしねえ、これはやっぱり内面的なことをテーマにしてるわけですのでねえ、それを全部外面的アクションにしたというならそれはそれですごいけれど、そうでもなくて、独り言を言い合っているってのはねえ。
Strawberry shortcakes (フィールコミックスGOLD)

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あと、この映画、R指定になっていて、それもどうかなあと思う。えーと、まず単純に、そんなえげつないシーンはないです。で、いくつかのカットを刈り込めば、べつに普通に公開できるんじゃないかと思います。で、いちばんきわどそうなシーンが、まちがってると思う。原作のほうでは(当然)敢えて刈り込んであった場面を盛大に撮っている。それはやはりまちがっていると思う。
魚喃の作品を丁寧に映画化したらたぶんR指定になるだろうとは思うけれど、でも、こういうんじゃないでしょうがーと思う。

それでというわけでもなく読んでたのだけれど。
リビドー・ガールズ―女子とエロ

リビドー・ガールズ―女子とエロ

まぁ、この本に書いてあるのは(っていうか書いているのは、っていうか)、女子一般のことではないし、寄稿者・座談会出席者はそれを世代の問題みたいにいっているけれどとうぜん世代の問題でもなく、非常に限定された「サブカル系の文化系女子」とかそういう人たちの胸をピンポイントでえぐる本でしょうと思うけれど、そういう人の本棚には魚喃とか、それ以前に岡崎京子とか、いちおう並んでいるんじゃないかと思う。そうでもないっすか?