通勤電車で飛ばし読みの『増補 アイドル工学』再読。

アイドル工学 (ちくま文庫)

アイドル工学 (ちくま文庫)

卒論がらみで。たしか自分は昔に読んで、また虚構だのシミュレーションだのといった有名な議論はいちおうイメージとしてあったけれど、まぁ卒論に登場するという事でざっと再読。まぁ今の時点で学生さんがぴんとくるか、というところで、やっぱり直接これを読んでぐっとくることはないだろうなとやはり思うのだけれど、まぁそのジャンルの古典的作品としてはやっぱり避けられないんだろうなあという。いやまぁそりゃそうなんだけれど。たとえばなんやらがキリストだとか超えたとかそういう埒のない駄本にくらべたら、志はあるよなあというかんじは、あらためて感じる。いやまぁそりゃそうなんだけれど。また、著者の人は「社会心理学」の人であって社会学の人ではないから仕方ないのかもしれないのだけれど、ボードリヤールなど引きながらその議論を、社会の次元ではなく、個人(虚構を受け取るファン)の態度(虚構の出来栄えを賞味するとかアイドルの神話性を相対化するとか)の次元に落とし込んでいるわけで、まぁ社会学からしたらとうぜん、そんなもんしらんがなである。90年代に松田聖子の凋落、中森明菜の自殺未遂、幼女連続誘拐殺人事件容疑者「M君」こと宮崎何某の逮捕、という一連の出来事から「虚像としてのアイドル」の終焉、相対化が行きついた後の絶対化へのベクトルの逆転、をにおわせるような増補版補章を見ると、なんだかなあとおもわんでもない。