世代の関係で結局のところは読んでしまうことにしている
村上春樹だが、とくに小説に関しては文庫が中古でワゴンセールになるまではやはり買う気がおこらないということもあって半年前ぐらいにようやく購入、それをまあまとまった時間の余裕のあるときにと思ううちに現在にいたりようやく読む。いつもながらの
村上春樹である。さしあたり、なんとかなんとかのようになんとか、みたいな比喩を乱発する。地の文と老若男女の台詞および心内語のすべてがおなじ
村上春樹文体である。「心楽しいとは思えない」といった決まり文句が地の文および複数の登場人物のせりふの中で繰り返し使われている。一応時代的に1984年(ないし
1Q84年)が舞台ということなのだけれどぜんぜん1984年なかんじがしないし、しまいには「
認知症」という最近の言葉が使われていたりして(たとえばということで、ほかにもあるかもしれない、文庫のさいごに、「
1984年には使われていなかった言葉が使われています」と注記があるけれど、なんじゃそりゃというかんじ)、村上という人はエッセイなんかでしばしば、自分の執筆スタイルについて語る人で、何度も文章をこりこりと推敲するということを繰り返し語っているのだけれど、まぁじっさいそうなんだろうけれど、その結果がこれなのか、というかんじのする文章なんである、でそれが文体面でのいつもながらの
村上春樹。で、二つの世界のふたりの主人公がいてかわりばんこに章の視点人物になっていて、それが章を追うごとに交錯してくる、みたいな構造もいつもの
村上春樹。で、主人公の男が巻き込まれる、とか、女が姿を消す、とか、探す、とか、協力的な美少女が登場する、とか、まぁ読書をするとかクラシックを聴くとかストイックな筋トレをかかさずするとかそういうのがまぁ、物語上のいつもながらの
村上春樹。で、暴力シーンとエロシーンの大盤振る舞い。あとこれは今回特にかもしれないけれど、女が登場すると必ず、胸がどうのこうのという描写をせずにいられないようで、それは
若い女だけでなく
バーサンだろうが小学生だろうが必ずなので、途中から面白くなってきて、新しい女性の登場人物が出てくるたびにいつ出るかいつ出るかと期待してほらでたと喜んでいた(似たような感想を持つ人はいるものである→
村上春樹『1Q84』 夫婦放談 : あぱかば・ブログ篇))。まぁそのへんは、
村上春樹もサラリーマンで言えば定年退職のお年頃なので、まぁ職場の定年退職前後の年配のおじさん(やら、孫がいればおじいさんやら)の目線とか、まぁその年代のおじさんたちの愛読した
宇能鴻一郎(だったかな)の文学作品『セクハラ大好き』あたりの文体に近い印象だなあと思いつつ読んでたわけである。
で、さいごはほとんど夢オチ同然&『世界の終わり』リサイクルかという。
とかなんとか文句を言いながら読むのが、まぁ、いつもながらの
村上春樹なわけであってまぁまんぞくまんぞく。
(ちょっと見てみたら旧作の感想でまったく同じことを書いてるな。cf.
http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20090920#p2 http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20091103#p1 http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20091122#p1)