『私は猫ストーカー』みた。

私は猫ストーカー [DVD]

私は猫ストーカー [DVD]

あんたは蓮實が褒めないと見ないの?!というわけで例によって例のごとく蓮實本で褒めてたという記憶に導かれて見た。まぁおおかたそういうものであって、まぁそれでどうせかまわないとしたもんである。星野真理が、よくわからない重ね着にカーキ色のコート、ニット帽、細身のジーンズの裾を大きく折り上げていて、かばんは斜めがけ、で、デジカメを持って町の猫たちを見つけては仲良くなって歩いている、で、本業はイラストレーターで、でも看板猫のいる古本屋でバイトしている、とかなんとか。でまぁ、東京の土地勘がないからわからないのだけれどDVDの箱によると”谷根千”あたりだというわけで、まぁひとまずそういう系の映画。谷根千でゆったりと時間が流れてほっこり、的な。なにもおこらない日常がまったり、的な。せりふもさりげないので録音が遠いのかよく聞き取れない系、的な。でまぁ、けっきょく星野真里がいいのでまんぞくして見たんだけど、蓮實本を読み返してもいったいなにがシネマの記憶装置に触れたのかについてはわからない。まぁ、じっさいの野良猫にじっさいにそっと近づいて撮っているとしか思えないのにちゃんと芝居になっているのは、じっさいに気長にねばりづよく撮影したんだろうなあとは思ったし、カットを割っているのにちゃんと繋がっている(し、猫の動きがちゃんと繋がっているように見える)のは、あれ?とは思ったけれど。えーとつまり、よくわからないけれどふつうに人間で撮るばあい、たぶん、カットがかかるごとにカメラのセッティングを変えたり照明を動かしたりメイクを直したり段取りを確認したりして、間が空くとかじゃないか、それを何テイクも撮って、オッケーが出たら次のカットに行く、で、前のカットからうまく動きが繋がるように演技して、ということなんじゃないかと思うのだけれど、もちろん猫はそういうことはしてくれないと思うので、まぁあるていど流し撮りみたいなことをしていたんだろうなあと思うけれど、それにしても自然にうまく繋がってるのはちょっと不思議なのかな、とは確かに思った(逆に、野良猫と仲良くなるとか後を付いていくとかのシーンで、ところどころ時間をつまんでジャンプカットみたいになっているのは、自然だと感じて、つまりたんにユニークな表現としてそうしているというだけじゃなくて、撮影のときの都合もあったのでは、とも想像してみる)。