通勤電車で読む『再起動する批評』。コミュニティをつくらないといけないというのにはその通りと思う。

佐々木という人と東という人が、「ゲンロン批評再生塾」というのを運営していてその第一期の記録がこの本であると。で、批評再生塾というのは、批評家志望の人たちを集めて毎回講師が課題を出して文章を書かせてプレゼンさせて、公開でコメントしてランクつけて競争させて、そういうのをずっとやったあげくに最終的に一人が雑誌デビューする、という企画らしい。で、そこで第一期生の総代になった人の評論というのも載っているけれど、まぁそれはまぁいまいちぴんとこなかったのだけれど、ともあれ、なんでそんな塾なんかをやっているかというのがもんだいで、つまり、批評というのがいま業界としてダメになってるとして、それが再生するには、なんか天才的な人が個別で出てくるのを期待してもうまくいかんよと。書き手と読み手を含むコミュニティができることで、そこから才能を持つ人も出てくるかもだし、コミュニティができていなければ、個別に天才の人が頭角を現そうとしても、つぶれてしまうことになるよと。たとえば批評で頭角を現しても、それがありきたりな社会的「役立ち」っていうか社会批判っぽいなにかみたいな流れに回収されていってだめになっていく。批評は批評としておもしろいだけでいいのだ、役立つとか関係ないでしょう、と言い切ることができるオーディエンスが一定量いなくては、ダメであって、それはちょうど大学がダメになってしまって、学問は学問としておもしろいだけでいいのだ、役立つとか関係ないのだ、と言い切れなくなってこのていたらく、というのと同じことであると。そこのところはそうだなあと思い、だからコミュニティをつくらないといけないというわけで、それがつまりこの批評再生塾なのだ、ということで、なるほどと思いつつ、まぁいかんせんそこで総代になった人の文章がピンとこないのでそれはさしあたりわたくしとは無関係のコミュニティではあるのだろうとは思うけれど。