通勤電車でぱら見する『ディスコースマーカー英文読解』『パラグラフリーディングのストラテジー』。予備校テキストで知る読解技術。

例によってTwitterで、「ディスコースマーカー」なる語が視界を横切ったもので、初めて聞くがたぶんこれはつかえるものだろうと踏んで検索してみたら、なぜか予備校の英文読解のテキスト(問題集?)が紹介されてた。予備校というのに行ったことがなかったので知らなかったがこんなことを教えていたのか。え、みんなこういうの知ってたのか…。しかし、考え方はわかる。自分も論文の書き方とかについて考えてたときにこのような語のことを考えてた。えーと、読んだことある一般書でいうと、石黒圭『文章は接続詞で決まる』とか。
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ちなみに、いっこまえに読んでた市毛勝雄『小論文の書き方指導』では、ぎゃくに接続詞は使わないで作文する指導を書いてた。へえーと。そしてそれについては、似てるかもしれないことをこれもTwitterで見かけてマークしてたおぼえがあった。
まぁ自分的には、ぎこちなくても接続詞をいちいち入れたらいいじゃん派なわけである。ただし市毛本の趣旨は、たぶん、べつに流麗な達意の名文を書くべしということではなくて、ぎゃくに、接続詞によらなくても、きちっと論述を積み重ねるだけで、愚直ではあっても文章を論理的に組み立てられる指導、ということだろう。接続詞などというよけいなものを教えるとそれに甘えちゃうというか?そんな感じだと理解した。まぁそれができるのは作文指導だからだが(リーディング指導だと、書き手の都合でどんどん接続詞が出てきちゃうから扱わざるをえない)。
ともあれこのへんのはなしは嫌いではない。こういうのもFD案件ですな。