通勤電車で読んでた『形の合成に関するノート/都市はツリーではない』。
『ジェネレーター』からはじまって関連書を読むシリーズ(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2022/06/18/144547 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2022/06/14/192456 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2022/06/27/213140 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2022/06/28/113217 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2022/07/04/222207 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2022/07/05/201335 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2022/07/06/103552 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2022/07/12/171528 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2022/07/21/013403 )。アレグザンダーの、とりあえず初期論文であるらしい小さなこの本を見てみた。れいによってわからないところはてきとうに流しつつ、注に出てくる文献の面子なんかもチラ見しながら、まぁ感触だけとりあえず。で、とりあえず「自覚されないプロセス/自覚されたプロセス」という対が出てきて、前者については人類学的な例とか、フォークウエイズみたいなものがイメージされてるみたい。原初的なデザインみたいなもの、そこでは、さまざまな必要性への直接的な反応だけがあり、それに関与する人はたんなるエージェント?であると。しかし、まぁわたくしたちの近代的な社会ではそういうわけにもいかないわけで、複雑化するし、より計画性がないといけないことになり、どうのこうの、ということになって、でまぁ、複雑な条件を、自覚的なデザイナーがえいやと整理してデザインするよと。でまぁそうなると、デザイナーが個性とか作家性みたいのを入れこんじゃうんで、よろしくないよと。なので、複雑な条件を整理して(そこに数理的な手法を導入するよというのが論文の眼目らしいけど)それをデザインに結実させるといいよ、みたいな、なんかそんなお話だったと思う。でまだここには「パターン・ランゲージ」という言葉は使われていなくて(ダイアグラム、という言葉がのちにそうなると、のちに書かれた序文に書いてある)、しかし、まぁ「パターン」というアイディアの出所がどのあたりだったかをたしかめるには、やはりこの論文あたりは読むべきなのかなあというところまではなんとなく見当がついた。でまた、けっこう一番最後の短いあとがき解説が参考になったと思う。