通勤電車で読む『心を引き寄せる大人の伝え方集中講義』。これはポライトネス理論というやつの応用なのか?

著者の石黒圭という人の本は以前よかったような記憶があって( https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20180131/p1 https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20180209/p2 )、ちょっと見かけたついでに読んでみた。言語学のひとがこういうハウツー的な本に知見をどのように落とし込んでいるのかはちょっと興味があったわけで。それで、のっけから「コミュニケーションは距離の取り方で決まる」と書いてあって、まぁちょうどいい距離感がいいわけだけれどなかなかそうはいかず、たいてい距離を詰めすぎたりぎゃくに距離をとりすぎたりするよと。たとえば敬語をぜんぜんつかわないタメ口だったり、ぎゃくにわけのわからない敬語をごちゃごちゃ使ってなに言ってるかわかんなかったり。そこで、この本ではコミュニケーションの目的を「言葉の交換をとおして、相手との心の距離を、無理なく自然に縮めること」としたうえで、コミュニケーションに対する強い姿勢、踏み込みがちで、よく言えば積極的わるくいえば厚かましい姿勢というのを「アクセル」ということにして、逆に弱い姿勢、ひかえめというか遠慮しすぎな姿勢というのを「ブレーキ」ということにして、アクセルがちなアクセルちゃんとブレーキがちなブレーキちゃんに対してそれぞれ、じっさいのことばの例をあげながら、よりいいかんじの距離感のことばに言い換えていくというのをずっと列挙している本。えーとたとえば、アクセルちゃん向けに、「拒否や否定はひと呼吸おく」として、

やっても無駄だと思います

いやー、可能性は低いと思いますけど、やるだけはやってみましょう

みたいなかんじの言い換え。いやまぁこれだと同じ意味内容で単純な言い換えというよりは、後者だと「やるだけはやって」みないといけないことになって、めんどくさくなるわけだけれど。まぁ、言わんとするところはわからんではない。いわゆる口先仁義ってやつか。
で、さて、こういうかんじの「距離感」のはなしって、「ポライトネス理論」とかいうやつを下敷きにしているっていうことかな?と思ったら、やはり最後に参考文献で挙げてあった。それはそうとして、しかし、わたくしはポライトネス理論というのがなんのことかいまいちわかってない。なので、本書がポライトネス理論を上手にハウツー本に落とし込んでるのかどうかはよくわからない。